NO.431137 ・黒兎さん(女性/18歳) 2009/02/26 02:05:37
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わざわざスレを立ててくださってありがとうございます。 今から、書くことは、裏話であり真意はどうか分かりません。 なので、鵜呑みにはしないで下さい(苦笑) もし不適切な表現が御座いましたら申し訳ありません。
家定や篤姫は、あの時代では御飾りだと言われています。 家定は元から体が弱く、病弱で今で言う癌だったと言う説があります。
13代の頃には既に徳川の権威は衰え、退き際を見極めていたと言われています。 現に、家定が将軍になった時には14代と15代将軍は既に決まっていたとまで言われています。 では、何故家定が将軍になったのか。それは一つに、病弱であった理由があります。 その頃の老中達に取って御飾りの将軍が欲しかった訳で、病弱な家定であれば、長生きはしないと思われたからです。 因みに、もし長生きしてたら毒殺される計画もあったそうです。 もう一つは、家定は武士としての威厳がなく、優し過ぎたと言われています。つまりは、老中達にとって動かしやすい存在だったのです。
つまりは、家定の時代には、将軍は御飾りにしか過ぎず、権力自体は老中が握っていたとされています。
篤姫が、将軍家に嫁いだのは、倒幕派の思想があった薩摩の力を老中達が得ようとしたからではないかという説があります。
っと…思いつく限りの事を書きましたが、久々なので所々表現がおかしかったりするかも知れませんが、申し訳ありません。
長々と失礼致しました。 |