NO.368840 ・ぐったり侍さん(男性/27歳) 2008/10/21 01:42:05
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社会の善悪は、そのときの社会の大多数が決め、 自分の善悪は、自分自身が決めるのです。
ぶっちゃけてしまえば、万物普遍の「善悪」の基準など存在しません。
ですから、「自分」が正しいと思うことを一生懸命にするしかありません。 ときには、それが他者や社会にとって悪だと言われることもあります。
たとえばイスラム原理主義者の自爆テロは、テロを行う本人達にとってその行為は善行なのです。 そして、「私ことぐったり侍」はそのようなテロ行為を、「私」の善悪の基準を持って悪だと決定付けています。
善か悪か、「テロリスト」から見るか、「私」から見るかで、この「価値観」というものは、常に相対的です。
貴方の言う、「長い目で見れば悪に変わってしまうもの」は、実はある立場から見ると、「善に変わったもの」だったりするのです。
>すると、何か、私達がしていることは、広い宇宙の中のちっぽけな事に過ぎないような気がしてくるのです。
そのとおり。広い宇宙からすれば実にちっぽけです。 ですが、それでいいのでは? だって、「私」という一個人が認識できる「世界」なんで、せいぜいが自分の生活環境だけです。 宇宙のどっかで神さまがいようが全宇宙がどれだけ広かろうが、「私」にはなんの関係もありません。 自分の生活環境が広がればその広がった範囲を、たまたまTVで地球のどこかの貧困国の様子を見て、「自分に余裕」があれば余った小銭を募金する程度です。
私は、『神様ごとき』が全世界の善悪を決めようと、「私が決めた善悪」がそれを否定します。 |