・冷凍蜜柑さん(女性/27歳) 2019/02/03 14:34:35
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この前コンビニで、床に落ちてた商品を店員が見て見ぬ振りして通り過ぎていった。気付かなかっただけかもしれない。 それで私は無言で落ちてた商品を棚に戻した。それでおしまいなはずだった。 別にそれで良かったし、なんの怒りもなかった。誰にだって仕事が完璧にこなせないことはあるし、そもそも拾って棚に戻したのは私が自分の意思でやったことだった。
でもその一部始終をじーっと見てたおばさんがいた。 そのおばさんはわざわざ私に「店員がやらずに客にやらせるなんてね」と言ってきた。 そしてわざわざその店員を捕まえて注意までしてくださったのだ。 きっとそのおばさんはとても正義感が強く、私の味方するつもりで言ってくれたのだろうと思う。
でも、私にはそれがめんどくさかったのだ。話しかけないで欲しかった。 せっかく良い気分でおつまみとお酒を買って、家に帰れば半身浴をして、スッキリしたらあとは海外映画を見て優雅に過ごしながら眠りにつく予定だったのに。 床に落ちてた商品なんてどうでもいいことだったのだ。落ちてたから拾った、それだけで済ませたかった。
しかし私は思い出した。 私も以前はそのおばさんのような人格だった。 ほんのわずかの人のミスをも許せず、「こうあるべき」と私が思う生き方をしていない人を見たらイライラしてしまっていた。 道でぶつかっても謝らない人が居たり、 狭い通路で横並びに歩いてる人が居たり、 年下からちょっとタメ口で話されたり、 そんな一瞬の微々たることで私はイラつく人間だったのだ。 人生80年=2522880000秒のうちのたった数秒の出来事に何時間も、場合によっては何日もイラつくような、なんとも無駄な時間を過ごす人間だったのだ。 それならまだゲーム三昧のニートの方がよっぽど心は健康的だ。
しかしここ数年で私は変わった。何を見ても殆どイライラしなくなったのだ。 きっと自分自身が、イラつかれる側の人間に回ったからだと思う。 私はここ数年で「〜べき」「〜しなければいけない」という考え方を辞めた。 大人だからといってこうでなければならないという形はない。 少年のように遊びまわる大人がいたっていいはずだ。 店員だからといって誰もがロボットのように常時張り付いた笑顔でお客様第一で動かねばならないとも思わない。時には失恋に落ち込み仕事なんてどうでもよくなることだってあるだろう。下痢に耐えながら仕事している人にとっては、落ちた商品を拾うことよりトイレに急ぐことの方が優先だろう。
以前の私ならあり得ないことだが、私は自分で髪を切っている。 良い大人なのだからきちんと美容室へ行くべきと思う人は思うのだろう。 しかしそう思われる側の方が全然気分が良い。「べき」「べき」思う側は自分の思い通りの人なんて滅多におらず、そのことで頻繁にイラついて過ごしてるのだろうと実体験から分かるのだ。 間違いをおかし怒られたら謝れば良い。別に誰の事を傷つけても殺してもないのなら、それで取り返しはつくのだ。そんな能天気な生き方をし始めてから、私は幸せになった。 一生大人になれないのならそれで良い。 私は私の思うように、ゆったりと人生を楽しみたいのだ。 誰かの思うように生きて失敗したって、誰も私の人生の責任を取ってはくれないのだ。
あの店員がもし本当に下痢に耐えトイレに急いでいて、あのおばさんが呼び止めお説教している最中に下痢を漏らしたらどうするつもりだったのだろうか。 店員は商品を拾わない以上の恥を晒し、迷惑もかかるのだ。下痢がかかるのだ。
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