NO.922360 ・ラインハート優しい時間さん(男性/60歳) 2017/11/20 16:26:10
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黒ウサギさん、再度レスありがとう。。。
貴方の記述は、論点が明快にて非常に分かりやすくて納得です。
論語にこういうのがあります。 「説くところの心を知り、我が説をもってこれに当つべきにあり」と。 これは「進言術」の一種なのですが、「説くところ」相手のこころを汲み、己の説き方を、その気持ちに相応しいものにする。
でもね、「それ」は決して相手に迎合することでもなく、相手の憂いを理解するだけのことでもないのです。また、己の思念をお伝えする強情さを持つことでもなく、その思念に絶対句を持つことでもないのですね。。。 かといって、己が自信満々で相手にその気持ちに準じて、強引さを誇示すれば、押し付けがましくもなる(傲慢)。 また、その伝えが脆弱だと、たいしたアドバイスでもなしと、軽視もされる。実にこころ救済するとは難しいものでもある。
これは私の戦略でもあるのですが、「遠交近功」。。。 解ったかのよう対陣しても、重い説法にしか聞こえない。 それとは別にそれらを掌握してから、悩みの根幹にメスを施す。 つまり、一番の悩める種に寛美して、そこから気持ちの扇状に導く。。。 そこに「救い」があると信じているからです(そこに触れられたくなく、猜疑心から逃げる、拒否される方もいるが)。
癌を絶つには、その根幹の撲滅をはかり、その負の連鎖に及ばぬようケアを成す。。。いずれはそうすれば、時と共に回復に至るものと考えるからです。それを己は「包容力」と自覚しています。 同情するは簡単(偽善者留り)。。。されども「救い」はそんな簡単なものではない。
そこには必ず「愛」が伴われます。 愛することの難しさがそこにある訳です。
「与うるの取りたるを知るは心の宝なり」。 相手のこころを救うならば、まずは「与えるべし」ということです。 それはその者への「後楽」を与えるための戦略でもあるのですね。 ま、もっと分かりやすくいうならば。「マネージメント」とでもいうか。。。
観聴、必罰、賞誉、詭使、こまごま。。。 そこに相手のこころの救い(伯楽)がありと思ってます。 そこには論理性よりも形而上なる「情愛」にこそありと。
ま、己は簡単にいえば、情に流されやすい演歌みたいなオッサンってとこか???。
千里の馬を見い出すには、まずは伯楽であるべしと。。。
だから己は「満月様」に、ここで共感得たということです。 そして、彼女の人格に誹謗したる者より擁護に至り、諌めを受けた。。。
仕方ないことです。好き嫌いは人の本能であるからして、致し方ないものだから。。。でも、それには己も自重、反省は課題でもある。
しかしながら「成り済まし」には「それ」は皆無。 ただの稚拙分子に過ぎません。語るには及ばぬ存在。 どのような説法も通じることはない。坊さんのように修行を成せば巧妙もあるかもですが。。。
本来なら無視すべきでもあったが、己の自尊心と、ここでの自負心が赦さなったというべきか?。。。そこが私も発展途上であるということです。
まだまだ、将(智・信・仁・勇・厳)に及ばず。。。 修行が足らんということね。。。還暦を機に比叡山の寺に修行に出るか?。。そんな大層な???/苦笑。
しや〜〜ないし、酒呑んで「スーダラ節」でも歌うとするか?。 「スイ〜〜スイ、ス〜〜ダララッタ、スラスラスイスイス〜〜ときたもんだ ♪」/笑。
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