・優しい時間さん(男性/59歳) 2017/10/14 01:51:46
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先だってはご指名受けながらお答え出来なくてごめんさい。
持病の悪化で入院療養中でした。退院しましたので改めてお答えしますね。 先の弁明は、携帯からでしたが、PCから。。。
では本題に。。。 「職場の人間関係」のお悩みでしたが、メンタルダウン気味なのですね???。
大抵の悩みは大いにして、対人関係に起因しているものです。
人間とは「人との関係」と書くように己独りでは生きてゆけないのも事実。 歌にもあるように「人は皆、一人では生きてゆけないものだから。。。」というものある。 そこでその関係性においてそれが良好でない場合、相手を敵とみなしてしまいます。。。それが、「悩みや苦痛」ともなる。 そして「そこ」ら逃げたくもなる訳です(広場恐怖症ともいう)。
人の本質的欲求の中には、「自己承認欲求」と「所属感」というものがある。それが求められなくなると、当惑します。 そう今の貴女のように。。。
自分は懸命に努力して働いているのに上司からは嫌みや罵声が及ぶ。 つまり承認欲求が満たされず、憤慨や挫折感を感じるように。。。 そのことで今までのヤル気や労働意欲は減退。。。 そして、「もう就業意欲の減退や体の不調」へともなり、不快感はピークに。 でもね、承認欲求を捨ててしまえば、そのような嫌悪は気ににならなくなるものです。 つまり、「私はその者らに褒められたり、期待されたりするために働いているのではない」と考えるように。
相手に感謝されようがされまいが、認めてもらおうがもらえないが期待しなくてよくなります。 労働に対する自己の貢献において「それだけで」満足するようになります。 オヤジは生きることは、『ギブ&ギブ』と考えています。 そう「ギブ&テイク」ではないのです。
人間関係の悩みの基本は、「テイク」を求めるからこそ苦しむことになるからです。「求めない」、そうこころに言い聞かすことです。
その心理は、他者に関心を持って、自己に反映を持つ。 相手の視点に立って物事を見る。自己の視点を前提とせずに。
つまりね、自分は相手の期待に添うために生きているのではないのだから。 もっと言えば、それは「自分の人生」であり、他者のために生きているのではないという論理ともなる。 自分は自分であるとの確信があれば、相手に承認されまいが、気になりません。相手への「依存心」を持たないということは、そういうことでもあるのだから。 それはねつまり、相手の期待を満たすために自分は生きているのではないということは、相手にもまた「それ」を認めてあげることともなる(心理学における「共同体感覚」)。
そう考えれば、苦しみや嫌悪感は薄れていきます。
労働は自分のため(生活のため、この仕事が好きだからとかの理由)に働いている。上司に褒められるためではない。 あるいは自分が働くことで誰かに貢献しているというのが本意だから。 そうして課題分離をなして考えることです。 だって、貴女の人生だよ。
それから相手の上司もですが、感情や権力で相手を支配することは出来ません。それもまた、貴女の責任ではなく、その上司の感情コントロールの課題でもあり、責任転換であり、稚拙といえます。 そのような上司がいることには嫌悪感もございましょうが、貴女さえ自己に確信(他者に認めてもらうために私は生きているのではないとの)があれば、焦燥感に苛まれることもないのです。
上司しかり、貴女しかり、誰も相手を支配なんか出来ないのだから。。。 そのような焦燥感にとらわれず、自分のやらなくてはならないことに尽力を傾けて働く。黙して語らず。「勝手に言ってろ」という感じで。
ま、あまり深く考え過ぎないで、「鈍感」に生きていきましょうね。 そのようなことに執着せずにプライベートで「恋」でもして、生き甲斐を見つけましょう。そこにこそ生きる醍醐味あり。 自分の弱さ、欠点、憤懣などを解消するために、また自分のしあわせのための生きる糧を見つけること。それが恋であり、結婚であってもいいと思うよ。職場の課題など、人生において一つのパズルに過ぎないものだからね。
素敵な彼と恋をして、本当のしあわせを見つけてくださいね。。。 挫けるんじゃないよ。。。V
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