NO.921245 ・テルさん(男性/45歳) 2017/09/18 23:30:49
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一読した正直な一番素直な感想としては、少しおおげさかもしれないなって思ったよ。
>両親→普通に話せる。 >友達、彼氏→普通に話せる。 >祖父母→言葉がすぐ出てこない。 >バイト先の同僚→言葉がすぐ出てこない。 >お客さんと接する時→言葉がスラスラ出る時と >出ない時がある。
個人的には普通の、相手による緊張による物怖じだと思うよ。 私もそうだったから。ほぼ全く同じ。言葉が出てくる相手と出てこない相手がいた。 どんな相手に出てくるかどんな相手には言葉がうまく出ないか主さんとほぼ同じ。 慣れと訓練(それでも話そうとする事、なんとかうまく話そうとする工夫や緊張する必要ないと意識する事、それを恐れない様に自分を保つ事)で普通になおせた。 その中で一番効いたと自覚してるのは場数を踏む事による慣れ。
コミュ障 アダルトチルドレン AC 緘黙症社会不安障害 SAD HSP。 人って理由付けしたがる生き物だそうだよ。 きっとこうなんだと思って、だからこうなんだわと、なんか納得できそうな理由を探してきて、それらしいものが見つかるとそれを持ってきてきっとそうだこれだわ、全部当てはまる、これだからだと思って”納得したい、安心したい”生き物だそう。 なぜそうなるか判らない、その判らないという不安を抱えたままでいるのがいやに思う生き物だから。
でもそこでどんな理由付けをするかで自分をどんな人間にするか、自分をどんな人間に向かわせるかの選択肢があるそうなんだよ。 大学の時、ある心理学の先生と話すと”自分はこうなんだ”と思うと人はそっちへ向かって行ってしまうという人間の性質を教えてもらった事がある。 だから何かあって自分をどういうものかを決める時には、あるいは何かがあってそれが自分にとってどういうものにするかの選択の時には、そういう時には自分をいいものにする方を選び、その物事を大した事ではないと思う方を選んで”こうだからだ”と思いなさいとアドバイスされた。 人って自分が目を向けてる方に自分を進ませるそうだから。
しかし主さんの場合は、誰に言葉がすぐに出て誰に言葉がうまく出ないかをみるとそれは本当に冒頭に書いた様に、一番正直な素直な感想としてはコミュ障とかACとかなんだとかそんなのでもなんでもなくて、ただの相手によって変わる緊張とそれによるただの物怖じだと思うよ。 ”この人だけ”とかではなく普通に話せる時があるんだから。 それがACだの対人恐怖だのなんだのとは決定的に違う部分だったりするから。
それらは多分誰にでも大なり小なりあるもので、誰もがさほど意識せずにも、または意識したとしても、敢えて自分でわざわざそれを苦手なものにしてしまわない限り慣れて行って乗り越えていける範囲のものだと思うよ。
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