NO.921003 ・優しい時間さん(男性/59歳) 2017/09/06 15:27:42
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父親たるもの、「三尺の童子を拝す」というのがある。
これは禅の言葉であるが、父たるは子供に謙虚であれということだ。 こどもは神の子である。
また、国学において「翁童論」というものもある。 つまり、子供に慕われてこそ親だというこことだ。
親にとって子供とは愛すべき存在であるが、甘やかしてはならないという厳しい概念(性悪説)もある。。。それは否定はしないが、子供の苦しみ、悩みにおいて、その胸襟に触れてあげることも親の役目だ。それもまた、親の愛というものだ。
「未熟な父親ほど、威張りたがる」。。。
「俺の言うことは正しい。。。だから、言うことを聞け!」とな。。。 それはあまりに主観的であり、子供の胸襟に触れることはない。 「俺は父親だ、お前らを食わせてやってる」との驕りだ。
そんな未熟な親でさえ「父親だ」との権威に溺れる。。。
親たるもの、「権威」と「権力」は区別しなくてはならない。
権力はひとつ間違えば、暴君ともなる(北朝鮮のデブのアホ国家元首のように)。
現在の父なれば、子供に対して「謙虚」でなくてはならない。 パパ、お父さんと慕われてこそ父親たるものだ。 子供から慕われてこそ「権威ある父親」だということ。
「慈愛」。。。そんな深い包容力を持つ父親の元では子供は自由に生きられる。「優しいパパ」の元では娘もまた、素敵な大人の女性ともなれる。
子の人格形成において「思い遣り」ほど大切な概念はないのだから。 それこそが心の発達に最も大きな意義を含んでいるのだから。。。
「温厚で情緒纏綿な父親のイメージ」、それが女の子にとってどれほどの人生の糧となるか。。。男性に対する慈愛、尊敬、信頼。。。計り知れない。。。
オヤジは「親しみ合う」ことと「礼儀」とをよく天秤にかけるが、私は前者をいつも尊重しています。親だから(権力)と子供を支配することには反対だ。 「パパ?、私、悩みがあるの」と声かけしてくるれる思春期の娘に、私は親として誉れを感じます。 その娘ももう大人。。。親はいつまでたっても親である。
自分の命さえ犠牲にしてでも守ってあげたい存在だ。
貴女のお父様は、少し主観的ではあるが、娘を思わない父はない。 それも、多少は湾曲はしているが、親の愛である。
男はどうしてもプライドの高い生き物です。自分から迎合はしないものだ。まして子供には。。。
でもね、貴女のことを想っていないことはない。 たとえ「すなまい」と想っていたにしても、自分から言うこともない。 きっと、今の貴女の態度を見て、お父様もこころの中で反省してると思う。
娘の辛さ、苦しみを。。。
この際、そんなパパなればこそ、貴女から今の気持ちを分ち合うことです。 「私は苦しかった。。。だから、パパに優しくしてほしかったの」と訴えて。。。それで解決だ。
親とは唯一無比なる存在。まして父親は貴女(娘)にとって最大の味方であることを忘れないようにね。
仲良くするんだよ。。。 いつか貴女がウェディングドレスを着て、新しい生活を獲得したならば、一番、それを歓び。涙して祝福してくれるのは、パパだからね。。。
和解してくださいね。元気出すんだよ。。。/娘を持つオヤジより。
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