NO.920899 ・優しい時間さん(男性/59歳) 2017/08/29 23:27:00
|
貴女は「しあわせ」というものをどう考えていますか?。。。
人間は運命によってしあわせになれるのではない。 生きる姿勢によって、その態度いかんによってしあわせになれるものです。
どんなに恵まれた境遇であれ、それがしあわせになれる確信ではない。 品減はその者の行動いかんによってしあわせに導かるものです。
人間はエゴというものに囚われている内はしあわせにはなれない。 そのような態度でしあわせになれるほど人生は甘くない。 イプセンの言葉にこういうのがある。。。 「心痛む時は、富はかなしき慰めに過ぎない」と。。。
人生を「創造的」に生きられない者は、不幸の責任を「金がないこと」に責任転換する。 賢者は富でもなく、名誉でもなく、余暇や地位に支配されるものでもないのです。
そのことで一番大切なものを喪失していることに気づいていない。 金の奴隷という言葉のように、それに支配され、自分を見失い、自己を活かすことすら忘れている。金によってしあわせだと錯覚しているところに問題があると思う。 精神的にはそのような者は、どこまでいっても確実に不幸なのです。
金持ちがいいとか、楽したいとか、考える前に自分が本当にしあわせになる為にはどう生きるべきか考える必要があるということだ。
こんな言葉もある。。。 「質朴な生活に甘んずる人は、最も幸福な人である/トーマス・ハーディ」。
人間がどれだけ喜ぶべきか、それは、それはあらゆる困難にに耐えたということだ。人生には王道などない。金も地位も人が真のしあわせになるために必要なものでもない。 愛に生き、情熱に全存在を賭けたところにこそ本当の歓びがあるだけ。
困難、苦悩。。。それらを通過しない限り、この世に本当のしあわせがないことを知ってくださいね。 安易に幸福になろうとする気持ちを捨てることです。
今、貴女がなすべきことに向かい合うことこそがしあわせになる入り口であるということを。。。
金持ちの彼でないと貴女の恋は成就しないのですか?。。。 もし、そうなら別れなさい。。。そんな陳腐な愛に意味などないのだから。
愛の大義とは、そんな短絡的な概念ではないのです。 将来に不安とありますが、それは牽強付会であって貴女と彼しだいでどうにでもなるものだ。 過去に囚われず、既往不咎に生きることだ。
一番の確信は、彼との愛を信じて、その大義を全うすることなり。。。 そう、それこそが最前の満足なり。 そこにこそ本当のしあわせがあるものだよ。。。
二人の人生を愛してくださいね。。。V |