NO.918962 ・優しい時間さん(男性/59歳) 2017/05/02 22:42:18
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人生はコミュニケーションからくる満足感から救われます。
満足のない中での努力は、報われることはない。 「それ」をなしにいくら自分を正当化しようとしても、虚しいだけ。 そこからは「不安」はなくならない。
それは「不確な誤解」であって、決してこころから「満足」できるものではないのです。
本当の満足とは、自分が正直に生きることから生まれてきます。
自己の位置を見極めること。。。そこには「傲慢」もなければ、「自己否定(卑下)」もなくなります。
自分の位置を見極めることで、その苦しみから逃れることが出来るものです。
人は「傲慢さ」から離脱しうた時、初めて自己確認という土台が生まれます。そこから前向きなエネルギーが芽生えてきます。
自分の今までの人生がつまらないと卑下することで、こころが崩壊するのではなく、そんな自分を正当化してしまうから、その人生が崩壊してしまうのです。つまり土台ともいえる「それ」がないから迷走してしまうのですね。
「砂上の楼閣」という言葉がある。。。まさにそのように自分に確信が持てず、アバウトな心境に揺れ動くようにもなる。
こころの中に「自信」を持つことが出来ない。心理的に確かさを確認出来ない。。。だから「虚しい」のです。
外化に責任転換しないこと。こうなったのは全て自己責任。ましてこうなった自分を他者の責任にしてはならない。
そこに自暴自棄という闇が存在するのです。
ならばどうすれば、「その」虚しさか逃れられるのか?。。。 それは、「基本的愛情欲求」が満たされていないからこそ、孤独を感じるのですね。
嫌なことばかりが人生です。それを容認すること。当たり前と認識すること。 人はね、事実をいかに受け止めるかによって(どんな苦役でも)、その方の生き方やパーソナリティーに表象されるものなのです。
「泣いてパンを食べたことのない者でなければ、人生の本当の味は解らない」とゲーテは言っているように。。。
外化に責任転換している内はしあわせにはなれません。
創造的である者は、常に「変化」しかない。 人生は常に変化であり、挑戦でしかないのだから。。。
生きるアイディンティーを見つけ出すのです。そこにしか生きる術はございません。そうでない限りそれはただの打算となってしまいます。
決められた道を歩むのではなく、自分の可能性を信じて歩んでいきましょう。。。そこにはきっと「希望」があるから。。。
新しい出逢い、新しいチャレンジをなさること。。。 過去に縛られず、未来に遠視。。。(愛は与えられるものではなく、与えるものなり)
/過去に自暴自棄となり自殺未遂に至った女性の人生を全て受容し、命を救うことが出来たオヤジより。
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