NO.916722 ・ナインさん(男性/99歳) 2016/11/17 14:53:34
|
全然関係ねぇ引き出しから話すが、まずは夢占いでみる「教師の夢」の解釈だ。 その解釈には2通りあって、ひとつに「自分を助力し導く存在」という意味と、もうひとつに「ストレスを与える存在」とある。 言わば双方が対極に位置するような別々の意味を持っている。
じゃ、つまり何かつーと、自分という者を成長させるためには「外的にプラスな要因とマイナスな要因が必要だ」ということを、この解釈で物語っているわけだ。平たくいえばアメとムチみたいなもんだ。その2つが揃ってねぇと人は成長できんとも言える。
そこで、きみの現状をみてみろ。 大人になって好きな相手と結婚している。自分の想いを分かりやすく言葉にして第三者へ伝えられている。これは、成長してないガキでは出来ないことだ。
理解できたと思うが、その辛酸な過去があってこその今の自分だ。 虐待され続けても成長できねぇし、甘やかされすぎても成長できねぇ。イヤな過去があるからこそ得るモノがクソほどある。教師には反面教師としての側面もまた必須になる。まずこのことをしっかり認識しろ。
そして、次にセンシティブな奴ほど「善良」か「邪悪」に惹かれやすい。 ようは純粋な奴ほど「宗教バイブルのように形骸的なモラルやルールや一般常識なんてものに囚われた見方だけをして生きようとする」か、逆に「酒だの異性だのといった物で得る自我忘却にすがって生きようとするか」のどちらかになりやすい。
このうちどちらが人として正しい姿なのかと言えば、どちらも別に正しくはない。センシティブな奴ほどどちらか側に「極端」に傾くので、結局、それが一番悪い結果を生む。 てのも、極端に囚われる姿は偏見による依存しか育まないので、問題解決するハズの脳みそがパッパラパーになって問題ごとの原初である「考え方」という「モノの見方」を盲目にするからだ。
巷で、子に対する親の虐待や家族間虐待が妙に騒がれたのは近年になってからだ。ひいてはガキにゲンコツくらわせるだけでも虐待、1日飯食わせなかっただけで虐待、スマホ取り上げだけで虐待なんぞという始末。
これに対して昔の人間なんてもんは、もっと非道な子の扱いを平然とやっている。養えないので川に捨てるだの、近親レイプだの、故事歴史には、まあそんな類のな話がヤマほどある。「それよりマシだろ」という話ではなく、親による子供への強制的かつ一方的な行いというもんは、前述の教師話のように、その量や質を問わずに必然性として“在ってあるべき本来の姿”ということだ。 全くもって虐待を推奨している話じゃねえが、親から受ける抑圧やストレスは、それがあるからこそ其処から自立し、自分が新たな家庭を持つための必然性つー話しになる。
で。今のきみに底無しの空洞が出来たことはむしろ喜ばしいことだろ。人は傷つかなければ分からないことだらけだからな。今までのきみはその傷つきにフタをして、つまりは自分が傷つく様子を見て見ぬフリして生きてきたようなもんだ。見かけや知能はご立派な大人であっても核にある魂はガキのまんまってことになる。
良い機会なんだよ。いい加減に大人になれって話だし、ガキが結婚して子供産んだところで上手く育てられるわけもねぇ。ようやく傷つきに耐えて考えられる人間にまでは成長したので今その機会が与えられたと考えるべきだ。
親が虐待のしらを切ってるからで凹んでどうすんだ。誰だって自分の罪なんておいそれと認めたくないだろ。んなこと期待したところで大して意味もない。自分が持つ新たな家庭でそんな親にならなければ済む話、それを反面教師で教えてくれたのが憎さと感謝を感じる「親」という存在だ。
アダルトチルドレンだの認知療法だの、それを克服する書物読んだところで、自分を愛しましょう!だのおざなりで横暴な方法論しか書いてねぇよ。向き合ったところで感傷に拍車かけるだけだ。ああいうもんは単なる医学や善良過ぎスピリチュアリズムからの良い子ちゃん向け教科書でしかない。
重要なのは、んなことイチイチやたらに考えずに夕飯作って洗濯してマンガなりテレビなり見ること。突然涙が出ることも無気力感で起きれないことも案外と誰にでもあるもんだ。そして、そういう時はそうしとけ、あくまでも掃除だの飯だの実生活を優先したなかで、テキトーに休んで泣くなり布団に潜って寝るなりオナニー三昧なり好きにしろということ。
暗い穴を補充するのは考え方と現実的行動だ。補充するために生きるのではな、穴が開いてることを自覚してなお、それを過度に意識せずに生きていこうと生活することで、いつのまにか補充されてるものになる。 |