NO.914509 ・優しい時間さん(男性/58歳) 2016/08/23 23:18:52
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ニーチェの教えの中に「遠近法的思考」というのがあります。
それはね、「事実」に対して皆が同じ認識を持つことはないということ。 そこには真の認識は存在しませんと。。。
「苦しみ」や「悩み」は、現実と自分の認識のギャップの中から生まれます。
例えば、貴女は上司に糾弾された。。。それは貴女にとって「気分の悪い出来事」だったのです。だから、貴女は傷つきストレスを感じた。 でも、それは、その上司の立ち場やその者の概念から発せられた認識でしかないのです。つまり「苛立ち、怒り」として。。。
それはただの現象であって揺るぎない事実とは違うんですね。 揺るぎない事実とは、貴女が恋人からフラれたとか、友人が亡くなったとかは事実として否定は出来ませんが。
簡単に言えば、そのオッサン(オバサンかな?)の感情が貴女にあてがった認識でしかない訳です。
人はね、みんな自己の視点でしか見ていません。それはただ、その時々の景色に自己を投影しているに過ぎないのです。
だから、どうでもいいんだよ、そんな上司の言葉なんて。。。 人は認識したいように認識してるだけ。 そこには「確かな価値」なんかないんだよ。 あるのはただ「感覚」だけ。。。憤懣や寂寥といった。。。
だから、貴女はその感覚だけについてコントロールすること。
認識に深く囚われないこと。
考え方は様々。。。私ならこう思う「勝手に言ってろ!」と。。。 あるいは「こんな下らんことに囚われてどうする?、今日の一日がもったいない」と。。。 貴重な自分の人生(時間)をそんなオッサン、オバサンの一言で左右されてたまるかと。。。「アホくさ!!!」とな。
そう考えることだね。
ただ、その認識に対して、「いつか仕事の出来る私になぅてやるわよ!」って概念は必要だけどね。。。
意思に支配されることは、ただの認識。その意思を鎮めることで、こころは真理に近づけるのですね。
それも訓練かな?。。。自己の感情を抑制することは難しいが、生きることにシフトすれば、しょ〜〜〜もないことにかまってなんかいられないと考えることが、「生を充実させること」だと思いますね。
気にしない、気にしないということ(それを黙殺ともいう)。
ミミさん?、明日に遠視。。。明日は昨日よりいい日であれと。。。V |