NO.913931 ・優しい時間さん(男性/58歳) 2016/08/09 22:12:40
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最近はラインだのフェイスブックだの広義によって出逢いも多いように思うが、逆に男女が「本気で愛し、愛されるような関係」があるのかという疑問を感じる時がある。。。
例えば「結婚」。。。
それが目的となり、それがその愛の結論のように感じている方もいるようだが、果たしてそうだろうか?。。。
それはかもすれば、「その愛に自信がないから」とも感じる。。。
愛に傷つくのが嫌だから、安易に一緒に暮らす。。。そして安堵する。。。
極論言えば、それは「深く愛していない」からとも考えます。
人が本気で相手を愛したなら、必ず、「愛の悲劇」が及ぶ。それは必定。
でも、そうではなく愛がなくても愛があるように感じて生きていくような「装い」のようにも感じる。
その彼にもそんな「草食的」な男性のようにも感じました。
本気の愛は、装いによって愛していると錯覚するようなものでもない。 まして安心するものでもない。
傷つくのが怖いから、人を愛せない。。。そんな弱腰では当抵、人を愛することはない。
昔は好きな娘がいたら、肉筆でもって気持ちを文に託し伝えたものです。 また肉声でもって直に。。。 そこに本当の自覚を得て、発展していった。
「肉食系」などの言葉が最近あるが、昔はみな肉食だった。
愛は好きになったその人のために『何を失うことが出来るか』だということ。「そこ」でその愛がためされもする。。。
それはまるで「踏み絵」のようなもので、それを凌駕できてこそ、ホンモノの愛だと思ってます。
貴女はまだお若い。。。もっと本気の恋をなさっていただきたい。
そこに生きる歓びと苦しみがある。。。だから人生は素晴らしいともなる。
彼のような希薄な間柄では、愛は決して成熟には及ばないようにも感じました。
別れるか否かは貴女の一存でもあるが、男も様々、本気で愛される方との出逢いこそが、本気の恋愛だと思いますので。。。
もう一度、よく己のこころを精査なされ、彼と対峙なさってくださいね。。。
「愛される」というオンナの本当のしあわせを求めて、生きていってください。 自分は彼の中で生き続ける。。。そんな確信こそが、生きる「虚しさ」から開放されるものだから。。。
「何の為にということが分かっていれば、どのような苦しみにも耐えられる」/ニーチェ |