NO.913450 ・優しい時間さん(男性/58歳) 2016/07/24 04:27:19
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満月様、早々のお返事ありがとうございます。
「相手を背定する」。。。そうですね。
知的障害者ということで、こころのどこかで否定観(偏見)があったようにも思います。 分かり合おうとはするのですが、よかれと思いなしたことが、全て裏面となり、ナーバスになっておりました。
健常者なら分かることも通じず、まるで己が「でくのぼう」に感じることもあり、虚しさに苛なまれていました。
施設の理念は、「障害者と同じ視点となり対等の立場で接する事」が基本理念とされてますが、それはよく理解しているのですが、やはり「意思疎通」が難解なもので考えあぐれてました。。。
分からないから、スルーにまかすでは、自分が納得出来ず、何か手立てはないかと模索してました。
私は、親からも見捨てられたその子らに「慈愛」という大義さえあれば、なんとかなるなんて安易な思いでしたが、現場ではそのような概念が通じず、困惑するばかり。。。(稚拙概念と実感)。 気の毒な人たちだから安易に寄与したいだけでは成りゆかないということに、己の思惑の安易さと無力さに焦燥感を感じてました。
「私は今まで何をしてきたのか?。。。過去から現在において自尊心をもってしてきたことが無意味に思える」なんてと、やるせなさに挫折感を感じてしまいました。。。
介助(具体的身体介護)は出来てもマインドサポート(信頼関係)には届かぬことで、虚しさ感じていました。 ただの身体介護では、それは相手は「物体」に過ぎず、自分の存在理由がないのではないかと。。。
人間である以上、やはりコミュニケーションがなければ、こころが充足いたしません。ただ単に、介助だけなら植物と同じではないかと?。。。 この仕事を選択した意味がないではないかと?。。。
それをベテランの方に問えば、「相手は貴方が考えることなど理解していないから」との返答。 なら、どうすれば?ともなる。。。 過去において我が子(幼児の頃)なら抱き上げて頬ずりして感性の疎通もあろうかとも思いますが、それも出来ず、俯瞰で眺めています。。。 なんか虚しさが襲ってきます。。。
結局はもっと深い「愛」が必要なのですよね?。。。
私は自己の人生において、それなりのイディオム(成句)を持って自尊心がございましたが、こと知的障害者においては、なんら役に立たない事実に唖然としていました。。。
満月様、ありがとうございました。 お姉様のアドバイスには、現実的諦観があり、よく分かりました。
相手を全面的に背定し、○は大きくということですよね?。 再度、自己の感概を拡大させて、見つめ直したいと思います。
貴重なご意見ありかとうございました。
満月様もこの暑い時節、熱中症になられませんようお身体、ご慈愛くださいね。 お母様の介護、ご無理なさいませんように。。。(笑顔) |