NO.912440 ・優しい時間さん(男性/58歳) 2016/06/26 22:29:17
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「信頼」。。。愛の一体感というものは、人が求め得る精神の安定郷である。 それはいわば、手の届かない虹のむこう側ともいえるもの。。。 そんな安易に手に入れられるものでもない。
貴女がそうであるように親の身勝手によって子供が犠性になったように。。。 親が親であるがゆえに子供に自分らの概念や信念を押し付けたにしても、あるいはそこで母と父が一体化への希求を得たとしても、子供の胸襟にまで及ぶこともない。そのことを自覚する者は少ない。 そこに子供からすれば「やりけれなさ」を感じることもある。
子供は親の為に生きるのではない。自分の為に生きるのだから。。。 子供は親の身勝手によって生まれてきたのである。 その上に「このようであれ」と強要されたらたまったもんじゃない。 子供を親が保護するのは当然でもあるが、その子が自分らと同じようになる、あるいは同じような親となり子供を監視するようになるのではと考えると恐ろしい。。。
だから親子ですらそのような疎外に及ぶがゆえに他人ともなれば当たり前。 人を信頼することの困難さがそこにある。
つまりそのような規範に封じ込められてはならないということ。 とどのつまり、貴女は貴女の人生なんだから。
決して人からの愛?に翻弄されてはならない。 それが本当の愛だと確信してもならない。
そこの見極めを怠り、安易に人を信じることの愚かさの中で人は挫折する。 それを信じた者が「不信感」に及ぶ。
つまり本当の愛は、自分の観念を押し付けるものでも、自己愛の強要でもない。相手の幸せが前提でなくてはならないのですね。
たとえ子供が悪いテストを取ってきたとしても、虐めに遇い帰ってきたとしても咎めてはならない。 それは自分らの概念に背いていたに過ぎず、子供の為になっているとは鍵らないから。 人を救うものは本当の「愛」だけである。 でもそれをはき違え、自分らの観念の強要であるならそれは本当の愛ではなく、その者の身勝手に過ぎない。 愛はもっとおおらかで、慈愛に満ちたものだから。 愛は訴えるものではなく、こころの中で祈るようなものだから。。。
貴女は過去においてこころが満たされるものではなかったにしても、「それ」を踏襲しない限り、貴女のこころは救われない。
愛に必要なものの中に「断念」とうものがある。 それは自分の願うような結果を得ることがなくても、それを背定することが必要であるということ。
私は本当に愛されることはなかった。。。でも、それでもそれを背定すること。。。 それでも「私は生きていくんだ」との確信だけが、「空しさ」を克服できる手立てだから。。。
だから、貴女も「人を信じられない」としても、いずれは信じるしかないんですね。 それしか、ご自分の「儚さ」から脱却出来る手立てはないのだから。
でも、私は貴女に「前向き」に生きよとは言っているのではない。 生きるということ事態が、「矛盾だらけ」なんだから。 その中にしか生きる本当の意味はないのだから。
その絶望の中で叫ぶことこそが生きるということ。 その中で慟哭し、その矛盾と戦かい、生きるしかない。 貴女はデリケートな感性がある方であり、その矛盾に対峙しているからこそ悩む。。。
でもね、そんな貴女なればこそ、『本当は強い人』でもあるんだよ。
惰性で生きていないから悩む、そしてうつにもなる。
貴女は実に人間的な方で優れた方なのです。 それは生きることに責任感を持っているがゆえに悩み苦しんでおられるのだから。 逆にそれを喪失したら貴女は生きてはいけない。大切なパーソナりティーなんだから。
そのままでいいんだよ。。。悩み苦しみ、そしていつか貴女自身の手で「信頼」や「確信愛」を手にするのです。
今は修行と考え、貴女の感性において本当に信頼が持てる方に出逢うことを祈ります。 貴女は非凡がゆえにハードルが高いだけに過ぎないのだから。。。 大丈夫だよ、きっと貴女の感性に担う方がいるものだから。。。 そんな方に巡り逢えば、貴女の今のこころに青空が見えると思いますから。
そうデリケートにならずこころの緊張を解き、おおらかに生きてください。 そして「ご自分を信じること」。 自らの人生そのものを貴女自身が創造なされて生きていってくださいね。 環境のせいにせず、貴女自身のこころの問題として捉え、それを支えとして邁進してください。必ず道は拓らかれると信じて。。。 自信を持って生きていくんだよ。。。V
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