NO.909999 ・ナインさん(男性/99歳) 2016/04/13 21:37:12
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思ったこと、感じたことを人に伝えることは良いことなんだが、だからといって言いたいことを何でも言うようでは、ただのガキと同じ。 しかも、その内容が自分に気に入らないことの訴えであれば尚更だ。母が作ってくれた夕飯に対して「こんなもん食えないからハンバーグ作ってよ」てのと何も変わらない。
そんなワガママな要求が通るのは幼稚園までだ。社会に出てそんなワガママはまず通らない。そして社会に出るための学びの場が学校という場所だ。
つまり、他人に「モノ申す」ためは、時と場所を選ぶ必要があるし、何よりもこちらの希望や要求を呑んでもらうために、自分のすべきことをキチンとこなして、要求をとおすためのベースを作っておく必要がある。
また、気に入らない部分を指摘するのであれば、他に考えられるベストな方法が自分で言えなければ、これもまた「ただのガキの文句」としか受取り手の人間は感じない。
以上をふまえて、例えば、勉強のやり方に対して「そのやり方はおかしい」と先生に意見する場合なら、少なくとも自分が勉強で良い成績を収めているか、もしくは、無遅刻無欠席で掃除や学校行事も真面目に取り組んでいるような状況が必要ということだ。 また、さらに先述のように他のベストな方法論として「〇〇したほうが〇〇な理由から良いと思う」といった自分なりの解決策を一緒に話さなければならない。
でなければ、生意気にハンバーグ作れよと母に指図するワガママと変わらんということ。
ようするに。 先生に良い顔するとかしないとか、そういった次元の話ではなく、学生としてヤルべきこともヤラねぇで、学校や教師に対して「ああしろこうしろ」と言いたい放題言ってるような生徒は、園児と変わらない幼稚な人間性であるから内申評価も×されて当然だ。 ましてや、自由や平等を履き違えて、教えてくれる立場の人間に対し、何でも好き勝手にモノが言えると錯覚しているならば、そこから見直すべきだ。
何でも従えという意味ではなく、自分が知識なり知恵なり何かを他人を通して吸収しようとするのであれば、それを教えてくれる人間や自分よりも経験者には、敬意を払うのが社会の常識だということ。 |