NO.901563 ・オウさん(男性/39歳) 2015/09/02 11:33:57
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不安な気持ちも判るし戸惑う気持ちも判る。
けど、わかんない所でわかんない事をあーでもないこーでもないといくら言っても、いくら他の人の話を聞いてもその人もあなたじゃないんだからあなたはあなたの答えを出せるわけないよね?
まるで匂いを嗅いでもないカジってもない舐めてもないそんな食べ物を、近づきもしないで匂いを嗅いでみる事もしないまま触れたり食べてもないのに、ただ遠くから見て“あの味はどうだろ〜きっとこうじゃないか〜でもこうだったら自分はどうだろ〜”とくっちゃべってるのに似てる気がする。
今より進んで今より近づいて、とりあえずちょっと食ってみなけりゃあなたにとってその味は美味しいのか不味いのかなんてわからないよね。 そのまま食えるのかそれじゃ食えないのかそのうち好きになれるかもしれないかもとか、とにかく今の段階じゃ何にもわからないよね。
少し食ってみてそれが美味しく感じて毎日食べられるのならあなたは幸せになれるだろうし、食ってみて最初は不味いと感じたものでも食えないってものじゃなくてそれをしばらく続けて食べていくウチにそれが不味いモノじゃねーなと思えてきたそんな風に味覚が開発されてくのでも…それも幸せにはなれる事もあるだろうね。
でも近づきもしない、触れもしない、かじって少し味わうもしない、匂いさえ嗅ごうとしない、そうやって何もしてない段階で何が判るっていうのかな? それも自分とは味覚や好みが同じじゃない人が当たり前にいるそんな他人はなおさら判るわけないよね。
匂いも味も何もわからないただ遠くにあるというのだけが判るそんな段階で悩むそれのどこに真剣さがあるのかな…ってちょっと思う。 あなたの悩みは“食わず嫌い”の更にその手前にある“食わずどうだろう”だよね。
それは真剣さの使う場所が多分間違ってる気がする。てかそれは真剣とはたぶん言わない気がする…。 なんにも判らない中でただ『丁と出るか半とでるか』の丁半博打をバカみたいに真剣に悩んでるだけに似てる。そんな博打は身を滅ぼすよ? そんなだと男にギャンブルするななんてとても言えなくなる。 それならまだ馬や騎手の情報を全部集めパドックに自ら足を運んで馬と騎手をその目で見ながら今まで見てきた経験に合わせて“きっとこうなる”と金を掛ける競馬ファンの方がよほどマシな結果が出せるもんな。
真剣ならもっと近づき、も少し前に進んで、味わえるものなら少し味わってみて食ってみてそれでそいつは自分にはどんな味か、食えるかどうかを他人がどうこうではなく“自分はどうか”で考え決めたらいいのでは?って思う。
そういうのじゃなくて、不安なの〜戸惑うの〜という事にただとりあえず同情や共感が欲しいのなら… まあそれも人によっては“真剣だ”とも言えるのだろうけど… その時は『そうだね〜悩むよね〜大変だね〜』の3ワードで済むよな…って思うわ。
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