・旅人さん(男性/18歳) 2015/08/05 14:41:35
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○私は臆病な人間です。人を信じる事が苦手です。 だから、他人に心を開く事は難しいです。 自分の本音が他人に叱咤されるのが怖いのです。 調和性の名の元に少しでも頭が出れば抑えつけられる感覚が怖いのです。 だから、こうして自分の名前も出さず知らない人間にだけ胸の内を吐き自分を正当化させる行為に明け暮れているのです。
○私には恐怖が何者かわかりません。すなわち死か恥か痛みでしょうか。 ただ生きているだけで病的に不安がり悩み苦しみ、その様は側から見れば陸で溺れるにも似た滑稽な姿に写るようで何を語ろうが最終的に相手は「考え過ぎだ」とか「後ろ向きだ」などと言ったような表情や態度を表しては「変な人」として処理されるのです。 また、棚についている引き出しからメモが見つかり私の奇行を家内が箇条書きに書いた物を発見しました。 そこには私が気が狂って発狂したり、抑えつけられら生活の圧迫からくる自然な抵抗が細かく記されていました。 私が奇行を行っているのは事実でしょうが、そのメモの中には理由があってそうしている物が沢山載っていて私の自然な行動は家内の目には屏風から虎が出るが如くおかしなことに見えているのだと思い、呆れたような屈辱的なような気持ちに不快感を味わいました。 そのメモには冷血さがあるのです。 「自分が好きではない人間の奇妙な行いは関わらないほうが自分の為だ、何か問題があったらメモと一緒に病院に連れて行こう」といったような無責任な意図が感じられ憂鬱になるのです。 そのメモを書いた家内は特定できませんが、私と腹を割って話そうなど思いつきもしないし、最悪自分の都合のいい人間関係さえ築けられればいいという人間性の為に反抗を恐れて注意できないし、医者に任せるような手数を思いつくのです。 この”家内”と呼ばれる人間の懐はどれほどの浅はかさかは計る事は恐怖に感じるのです。 決して優しくもなくかといって邪魔するでもなくその都度要求を押し付けてくるのです。全ては自分が楽をする為、できの悪い子供の親になりたくないそんな卑しい気持ちから来ているのだと思います。 ○私が恐怖する人間は誰一人として私の外の人物でした。 母親であったり、父親であったり、祖母であったり、祖父であったり、妹であったり、友達であったり、先生であったり、同級生であったりしました。 彼らが悪い訳ではないのです。 良い子の仮面を被った人間のなんと多いこと。私の活動が奇抜に見えたのなら仮面の下では恐れ怒り憎しみ、私が本音の場を設けようとすれば素顔を見られまいと私を裏切るのです。 でも、私は知っているのです。 仮面の下真実がある事と彼らだっておかしいと解っていてそんな暴挙に出る事を。 だから、私は焦りもしないしそこに因果関係を見出せないのでいつものように息をするのですがそれがまた癪に触るのでしょう。 私はじっと見ていました。 もがきもしました。 耐える事も自然と強いられました。 本心を口にできる場所が金魚鉢の大きさほどもなかったからです。
つづく |