NO.896369 ・ナインさん(男性/99歳) 2015/06/11 13:50:12
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まず、「利益を上げなければ」商売ではない。 当たり前のことだが、これが商売の大前提だ。
ただし、そこで「どれだけ利益を上げるか」かは、人それぞれの商売における価値観であるし、だからこそ「正解のないモノ」になる。
なので、言ってしまえば「1日わずか500円しか儲けられない八百屋」も、逆に「1日に500万円を儲ける八百屋」も、どちらも立派な商売だ。 また、その利益において経営者に不満が無ければ、どちらも立派な経営者ということになる。
したがって、「利益の大きさ」やそれに付随する「商才」は、実際のところ「商売の質」や「経営者の質」を推し計るモノには決してならない。というより、それで推し量ってはならないモノが実際の「商売」であるし、商売の「本質」だ。
ところが多くの人間はこれを誤解している。
利益を多く上げるほうが立派な商売で、その商才を持つ人間を立派な経営者であると、圧倒的な数の人間がそう思い込んでいる。ほとんどのビジネス教本でも経営者セミナーなどでも「利益」が商売のバロメーターであると教えているし、そう信じ込んでいる。
よって、これは商売における「利益至上主義」という“ひとつの考え方”でしかない。 また、「そうでなければならない」と妄信しているのが圧倒的な数の現代人になる。
そして、きみもそれと同部類だ。 親方の為に繁盛させることが夢であっても、これは上記の利益至上主義に乗じた、きみの価値観にある商売の在り方だ。決してそれが間違っているわけではないが、親方の今まで敷いた経営とは離反する商売の価値観を持っていることになる。
ならばよく考えろ。 親方という人間に惚れて働くのであれば、将来破綻すれども、親方の持つ価値観に併せて身を置き、そこで様々なことを習得していくのが「付いていく者」の本来の在り方だ。それこそ、親方と弟子という考え方での就労になる。
また、商売利益を目指して働くのであれば、それは丼勘定の経営者の元では授からないものであるし、親方という尊敬する人間の元で就労することの意味さえないものだ。つまり、親方の店でなくとも、量販スーパーや別の儲かってる八百屋で、商売や経営の勉強は出来るという話になる。
というわけで、総じて、俺が個人的にきみに言いたいアドバイスとしては、尊敬する親方と経営者を慕うのであれば「出しゃばるな」だ。
八百屋としての経験も知識も未だ不十分なのにも関わらず、その経営を語って、商売を右肩上がりにしようと考えるなぞ実におこがましい。
「陰ながら」やら「機嫌を損なわず」やらというのは、その八百屋に従属や迎合する想いであっても、別解釈をすれば、弟子がその八百屋を専横する様子に他ならないということだ。
なので、親方の元で働くなら、その利益至上主義の価値観は捨てろ。そして、八百屋の商売とともに親方の価値観を学べ。
自分の利益至上主義の価値観を発揮したいなら、少なくともきみが親方に信頼されて意見が通るようになってからか、店が潰れたりそこで教わることが無くなって独立してからだ。
今、きみが八百屋に合理的采配を用いても確実に潰れるぞ。 それが何故なのか分かるならばペーペーのド素人でも見込みはあるけどな。 |