NO.896210 ・ナインさん(男性/99歳) 2015/06/07 22:50:32
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解決の糸口となる考え方が2通りある。
ひとつ目は「いい顔するな」だ。 ようは、つまらん話しに対して、下手に「同調」するから疲れるわけだ。例えばコスプレの話しでも、一通りの話しは聞いて「私はあんまり興味ないな」と笑って逃げれば、大して相手も不快にならんし、次回から相手はその話しを振ってくることもなくなる。
そして、そうは言ってもそれが簡単にできんのは、きみ自身の本性が相談文の通り「つまらん話しは聞きたくない」という自己本位なモノにも関わらず、対人的な印象だけは良くしようと背伸びをしてカッコツケてるからだ。
大人気ないのに大人のフリしてりゃ疲れるに決まっとる。
そして、ふたつ目は「本当に必要ない話しかどうか」だ。 そこをよくよく考えて物事を捉える目を養えば、どのような話しでも「自分の糧」になることが理解でき、ストレスもなく納得して他者の話しを聞くことができる。 そして、これは先の回答者さんと言わば同じ指摘になる。
例えば、自分はハリウッド映画が好きでそれしか観ないとするなら、邦画も香港映画もインド映画も観ないのだから、きみにはハリウッド映画以上の映画に関する知識や感動やキャパ(許容量)が今後一生無いことになる。
こうなれば、きみと映画の話しをしようとする人間もきみに張り合いが無いため全くつまらないし、また、きみ自身も相手の話しがチンプンカンなキャパしか無いので話しがまるでつまらない。
ようは自分の知識や感動やキャパに対して、自分自身で首をしめているのと同じだ。きみが相手の話しに退屈さを感じている以上に、他人はもっときみの話しに退屈を感じているということだ。
そもそも、自分にとって「必要な話し」や「役に立つ話し」というのは『求めてそのままの回答が来るモノ』ではない。1+1の答えを聞いて「2」と正解が導けるのは、辞書か辞典くらいだ。
そして、求める答えがそれでないと納得いかないのが子供の思考だ。アイスクリームを買ってきてと親にねだって、ゼリーやグミを買って来られたら不満をかかえて泣き出すガキと同じになる。
極論、物事の考え方が“大人であれば”、自分の嗜好と異なるパスタの話しを聞いて、そこから今自分で抱える悩みのヒントすら見つけることが出来る。ワガママ女の話しを聞いて我が身を振り返ることがあるのはもちろん、子供のアニメをみて経営不信の打開策に気付いたりもする。
このようになれるのは、その本人の頭に、どのような話しでもある程度の興味を聞いたことで蓄積された「引き出し」があるからだ。この引き出しのお陰でつまり自分が知恵袋化し、これを作ろうとする気持ちがあるからこそ、他人の話しのおよそほとんどに興味を持てるようになる。
ま、ここまで話してみたが、他人の話しを興味持って聞けない人間てのは、本にしろ、映画にしろ、こういう長い話が聞けねぇので俺のこの話しもムダかもしれんけどな。
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