NO.877619 ・優しい時間さん(男性/56歳) 2014/09/21 00:58:36
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「苛め」と言うのは実にあさましい行為です。 虐めてる本人にはその自覚すらない。 それは感情的恐喝の難しいところなんです。 虐められた者は、生涯においてさえトラウマとなり、その人生にさえ暗い影を落としてしまう。。。
特に学校や職場といった閉鎖的空間では「それ」が横行しやすい。 学校というところは、対面が先に立ち、事の隠蔽に走るものです。 でもね。。。学校というのは「学校の為に生徒がいるのではなく、生徒の為に学校がある」というイディオムの上にあることをみんな忘れています(特に教師は)。そこには期待なんかできないともいえる。
虐められたくないから、苛めっ子に迎合する。 苛めがあることを知っていながら黙認する。 それはなんの解決にもなっていない。
教育の現場という大義の元に、その感情的恐喝が横行し、むしろ、苛められてる方が悪いとさえ思われるような現実もある。 まったく、ナンセンス極まりない。 自分の抱えるこころの矛盾をクラスメイトにあてがうことで、自分の癒しとしてこころの安定を求めてくる苛めっ子。 それは実に「脆弱」な人間の行いでもあるのです(欺瞞的で弱い人間)。
でもね、「それ」に屈したら自分は「鬱」となり、逃げ道を無くしてしまいます。まるで刃物で脅されてるかのごとくに。。。 そうしないと「そこ」に生きていられないのです。
苛めによって人は、自分に自信を失ってしまいます。 他者に対しても信頼を持てなくなります。 つまり自暴自棄となってしまい。
「許せない」、なのに奴らは堂々と何くわぬ顔で生きている。。。私はこんないも苦しいというのに。。。 そこに「無気力感」が生まれて、生きる方向性さえ見失ってしまいます。 でもね。。。自分を「犠牲者」と思ってる限り、貴女は幸せにはなれません。
もうそのような「悪夢」から抜け出すのです。
なぜ、自分だけこんな苦しみを背負はなくてはならないのか? そのような心の負い目を背負ったままでは、人を愛することも出来なくなります。人を愛せない人は、人からも愛されなくなります。
でもその「恨み」を消すことは困難でもあります。 恨みとは、敵意を持ちながら相手との関係を壊したくないという心理だから。
もう、そのような過去の温床から去ることです。 もう自分苦しめないこと。
私は思います。 「嫌いな奴は嫌いでいいのだ」と。 何も迎合することもない。近づかないこと。
苛められたことに否定的にならず、それを肯定することで貴女は生まれ変われるものです。 自分を「信じること」ですね。 お苛められた自分を。。。
私は過去、虐められた人間だけど、その過去を「立ち切るわ」と断言すること。
苛められたことを肯定して尚、立ち切れば、貴女のこころの景色も変わってくるものだから。
それを生きるターニングポイントにして生き直すのです。 そうすれば、自然とこころの闇にも光が射すと思いますから。。。
過去に苛まれている「自分の弱さに気付いた時」から貴女の人生は、変われるものだから。。。 苛めに堪えしのんだ貴女には、本当の強い力が備わっているのだから。。。 自分のこころを救うのは貴女しだいなのです。 弱い自分にリベンジしましょう。
『真の穏やかさを身につけた人にとっては、何をするにしても、そこには歓びがあるものだから』。
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