NO.877438 ・優しい時間さん(男性/56歳) 2014/09/19 00:24:42
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愛に屹立したものはない。 どちらが悪いか否かもない。。。
男と女、その時々で気持ちは推移するものです。 男は多情である。油断出来ない生き物。
それは受け入れる性である女には、理解できないものがある。 妻とは別の女性に気持ちが揺らぐ時もある。 でもそれは必ずしも「恋」とは限らない。 「抱いてみたい」、そんな短絡的な気持ちに流されもする。 そこには女ほど(女性のそれとは)、罪悪感はないように思います。 それは男の性(さが)かも知れない。 そういう生き物が男。
女の概念で男を審査すれば、とんでもない奴ともなりますが、その部分において男の理性は脆弱。
だから、妻を傷つけたという思いも希薄なところもある。 それは稚拙というよりも、本能に流されやすい生き物といえるかも知れない。
観念では悪いとは分かっていても、目の前の欲望には脆くも失楽してしまう。 そして、納得(安心)すれば、何もなかったかのように元の住処に戻って来る。 そこには挫折もある。妻以外の女に恋慕して「桃源郷」を見たいと思ってはみても、そこには「虚しさ」もある。 そんな虚無感を幾度と知って、やっぱり、妻がいいと(安住)辿る時もある。
でも、さにあらず、そんな夫の身勝手を妻が許すはずもない。 妻は妻で、そんな夫の裏切りに苦しみ喘ぎ、こころは衰弱していく。。。
空きらかに男と女には「温度差」が存在します。
地獄の苦しみ(挫折感)を体感した妻と、自責の念の夫は、気持ちにおいてステージが違う。
だからこそ夫は、妻の元にも容易く戻れるし、それを簡単に許せない妻がある。
苦役を知った妻は、その中で「答え」を見る。 それは挫折感の中でしか知り得ない感慨。そう、簡単にいえばしらけてしまう。 「もう貴方(夫)なんて愛せないわ」と。。。怨念と憎しみ、復讐心に苛まれ。。。 そこで妻も,他の男性に気持ちが推移することもある(空虚なこころの救済として)。そこにはもう妻の罪悪感も薄い。 むしろ、そのことで苛まれていたこころが懐柔することもある。
それは妻のこころの新しい「旅立ち」かも知れない(初めての夫への愛の離反)。
そこにはもうお互いこころは、共振を覚えることはなくなってしまう。 もう以前のようにエラスティックになれない。
簡単に元どうりになれるほど愛とは、そんなシンプルなものではない。 そんな矛盾もまた、男と女たるがゆえの苦衷かも知れない。
でも、長い夫婦の間には様々なリスクが伴います。
その苦しみは、まるで出産の時の産道でもがく胎児のような試練のようにも思います。 ただ、胎児の行き先には絶望はございません。 光の出口がその先にある。祝福される機運が待っている。
だからこそ、夫婦もまた、その苦役をどう凌駕するかで未来も変化させられる。苦役を肯定的に捉えるか?、否定的に捉えるか?で事態の対処もまた大きく変わってきます。
今が、お二人の軌道を正道に戻されるか否かの瀬戸際とも考えますので。 上手にご自分のこころの鏡に照らし、斟酌なさって後悔のない明日を、見つめていただきたいと思います。
お互い、「その現実」を作り出したのはお二人なのだから。 それはいうならば、「こころの持ち方しだい」でどうにでもなれるという ことね。 こころが正常に戻れば、霞みのかかった灰色のビルの景色だって、素敵に見えることもあるのだから。。。。
心、柔和にもう一度、お二人の(夫婦の)意味を、考えてみられてはどうですか?。答えを急がないように。。。 |