NO.877382 ・通行人@与太話さん(男性/40歳) 2014/09/18 08:19:03
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東大の優秀さと時代の優秀さ
ある能力を高めれば、反動である能力が衰退する事は良くある事です。タイピングに慣れた者が難しい漢字を書けなくなったり、あんなに歌が上手かったのに、ある能力を取得し、その能力増長に励んだ結果、見るも無残な音痴になったり…。
これは学校の勉強にも言える事です。学校の勉強ができる様になった反動で、様々な日常的能力を損われる傾向があります。ただそれ等は勉学万能主義が消し散し続けた柵です。
さて、時代はネットを用いてイロイロな事のできる人を求めて居ます。ネットを用いた双方向の政治活動、行政問題をネット上にデータベース化してそれ等に知恵を投稿する有権者、政治家だけでなく様々な政策への賛否を問う電子投票制度。
ここで前述の事案が引っ掛かって来ます。
つまり学校の勉強に特化した結果、ネット特性が著しく低い優秀な人材を輩出する大学の存在です。結果、官僚はいつの間にか時代対応能力を失い、昨今に至っているとしか思えません。
個人的には、教育も生きて逝く為に必要最低限の事を学校の義務教育化させ、それ以上の個人の自発性に関わるモノは、ネット上にライブラリ化させ、各人が自発的に視聴する形態に換えて行くべきと思えて仕方がありません。
何となく、頭をよぎったので書かせてもらいました。 |