NO.865220 ・マーシャルさん(男性/99歳) 2014/06/03 18:32:36
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では、君の「好みのタイプ」はいないのか? 外見に関わらず内面においても、人は人それぞれに好みのタイプや苦手なタイプがいる。食べ物の好き嫌いだってそうだ。刺身が好きな人もいれば食えない人もいる。他人を傷つけるような人間とは誰だって仲良くなりたくないし、逆に思いやりの深い人であれば仲良くなりたいとも思う。
つまり、人間というのは、違った容姿、違った性格で産まれてきている時点で「個性」という「差異」があるんだよ。その上で皆が自分の趣向によって物事を選んで生きてゆく。これは必然だ。自分の趣向における取捨選択は「区別」でもあるし「差別」でもある。
仮にそういう基準を無くしてしまえば、極論、皆が同じ顔になり同じ性格になり、誰とでも見境なしに愛したり殺したりするようになる。差別がイヤなのであれば他人を無闇にいじめる人間や罪人まで認めてやらなければいけない。それを嫌悪するのは「差別」に他ならないからな。
結論、確かに人をいじめるのは差別と同じで良くないことだろう。だがこれは人間が異なった個性で産まれてくる限り、誰かを特別に愛することと同様、決して無くならないことだ。だからこれを憎んだところで善人気分になれても何も解決しないし、そもそも解決しようがない。 ならば、いじめれている人を具体的に助ける人間になったほうがいい。 |