・かぶらさん(女性/25歳) 2014/05/26 17:16:00
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家庭不和で育ち、毎日酒を飲んで怒鳴っていた父親は高校生の時に出ていき 母親は仕事を辞めてから家事もほとんどせず 沢山のビールやチューハイの空き缶を脇に、ひたすらテレビゲームをやり続け 話を聞いてくれなくなり、無関心になりました。 だけど、自分の気に入らないことがあるとヒステリックを起こしたようにキレて 責められ続けました。 高3の時に、鬱になりました。バイトで貯めた進学用の貯金を勝手に引き落とされていたことが大きな原因でした。学校に行かない日が続きました。重なってウイルス性の高熱にかかった時も、母親は信じてくれませんでした。 毎日布団の中で、死にたいと思い続け泣いてました。死ぬことしか頭にありませんでした。でも、小さい頃から通いたかったデザインの専門学校に行くから卒業しなきゃ、という気持ちと、病院で貰った薬の効果もあり、学校に再び行くようになりました。 なんとか専門学校に入り、楽しい時間が増え、普通の学生と変わらない生活を出来ていると感じました。ただ、家庭環境は変わらずだったので、その頃の私にはもう、母親とやり直したいという気持ちも、何かを頼ろうという気持ちもなく、信用も会話もほとんどない日々でした。 奨学金を借りていましたが、学費に回ることはなく、とりつかれたようにゲームをし続ける母親酒代や、辛うじて買い物に行って買ってくるチルド食品やインスタント食品などの食費、光熱費などに消えていきました。
2年生になって、様々な事情が折り重なって 1年後に退居するよう、大家さんから立ち退き勧告されました。 母親には、「私は私の生活があるから」と言われました。 もともと、一緒に住もうなどとは思っていなかったし、精神的にも限界だったので、一人暮らしの為の資金を貯めることにしました。 夏休みに取りに行くつもりだった普通自動車免許の資金がありましたが、ちょうどこの時、後期分の学費が払えていない事実が発覚したので、そちらに注ぎ込んで0からのスタートになりました。
一人暮らしに必要な額など自分なりに計算し、 学校と両立していけるのかと不安を感じたので、親しかった講師に相談しました。学校が終わってから何時間働いて、週何日で、奨学金を増額して、など色々と計算しました。寮の話も出ましたが、どちらにせよ、課題ありきの分野だったので、 時間を作れず、なんとか生活は出来たとしても、無事専門職に就けるかは怪しい、という結論に至りました。それでは何のためにやってきたのか、やっていくのかわからなかったので、3年生になる前に、中退をしました。 出来ることなら、皆と卒業したかったです。けれど、これ以上負債を増やしたくないというのも事実でした。 しばらくは、大事な物を失ってしまったような、心に大きな穴が開いたような虚しい気持ちが続きました。その間も働き、立ち退き期日が迫っていたので、中退した翌月末には新居に入りました。その時ちょうど、過労が続いて扁桃炎になり、治ったと思った直後に、そこからくるウイルス性の菌が原因で、足が真っ赤に腫れ上がり、少しでも触れると激痛がはしり、立っていることもやっとという状態になりました。(正式な病名は忘れてしまいました) 立ち仕事だったので、それが困難になり、安静にしないと治らないということだったので、欠勤を立て続けにせざるを得なくなりました。
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