NO.860691 ・理想ちゃんさん(女性/22歳) 2014/04/18 01:16:01
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幸せや裕福の定義がありませんからなんともいえません。
お金絡みなら、何円貯金するとか家賃何円の部屋に住む、何円の分譲を買う、何円のクルマに乗る、など幸せとはなんなのかもっと明確にできるはずです。
あなたの育った環境はぜんぜん知りません。わたしは母とふたりで暮らしている頃に、月2,000円のお小遣いをもらっていたこととか、病院に行くたびに食べさせてもらった400円のバナナケーキとか、自分で働いて生活している今にしてみればその金額に感謝の念を抱かない卑近なものに過ぎないけれど、無償で与えられていた当時にはすごくすごく価値のある“幸福”だったと思います。
あなたにもしそういう思い出がなにひとつないとしたら、あなたが将来も母と一緒に暮らすことを願うとは思えません。つまりはあなたにもおかあさんとの“幸せな”思い出があるはずなのです。
“幸せ”に絶対的な評価を下し決して妥協しないのは、言い換えれば向上心で、この先“幸せ”になるのに必要なものです。
それでいて身近な小さなことに幸福を見出だせないのは、結局不幸を知らないからです。
わたしはそう思います。
あなたのいうところの『有名な大学』に行くべきだったと悔いる前に、無名であれ二流であれ、あなたの入ったその大学でいちばんの成績を修めてみればいいじゃないですか。だいたいその『有名な大学』に行かなかったのは、あなた自身の選択ではないのですか。
常に最悪の想定をすればいいですよ。そうでないのなら恵まれた環境だと思うべきですよ。
そういうふうに思えないのなら、不幸を語っちゃあいけません。甘い甘い甘いのです。
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