NO.856144 ・理想ちゃんさん(女性/22歳) 2014/03/10 22:02:48
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『今まで幸せだと感じたことが一度もない』、ですか。
でも、あからさまにして圧倒的な不幸というのにも、出会ったことがないでしょう?
わたしは、そういう不幸に行き当たった経験があります。わたしにそれを加えたのは、わたしの実の親なのですが、実の祖母が憐れんで泣くほどの経験でした。
わたしは祖母に要約して事実を語ったけれど、救済を求めることはできませんでした。不幸の渦中は苦しくて、でも他人には相談を寄せられませんでした。わたしの不幸は、誰に知らせることもできず、ひとり抑圧されていました。夜な夜な特急列車に飛び込む空想ばかりしていました。
それは恵まれない家庭環境でした。惨めで恥ずかしい話であります。だから身近な赤の他人にはいえません。
わたしは自分が今不幸であるものとして、その不幸の去ったあとは純粋に幸福なのだと定義しました。
だからわたしは独立したときに、地獄を脱却したときに、生きていることに感謝して感謝して感謝して、世界が薔薇色にしか見えませんでした。
今まで地獄だったから。
あとにあるのは地獄が鎮火した焼け野原で、ただただ静かな気持ちでした。
死なないで生き残ったことがとても幸福でした。
その後の日常は、己れの一挙一動すべてが自由で、洗濯したりお風呂に入ったりできることがしあわせです。夜、温かい布団にくるまって、悲鳴も怒号もない部屋にひとり横たわることが、なによりいちばん幸福だと思います。
こういう相対評価の幸福よりももちろん本音では絶対の幸福が欲しいのですがもはや無理ですね。脳がそう認識しませんから。
もったいないよ
あなたの考え方次第だと思うよ
わたしはプリンを食べてもぬいぐるみを抱き締めても幸福になれます
でもだからって安い幸福だとは思いません
敢えて感謝をすることにしています
生きているから、苦しむわけですよ
わたしは楽したいなんて望みません
むしろもっともっと苦しめばいいです
謳歌して満喫して堪能して、いっぱいいっぱい人間らしくいたいです
遅かれ早かれどのみち死ぬのです
急ぐこたありませんから
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