NO.850581 ・ぐったり侍さん(男性/31歳) 2014/01/20 04:50:59
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>最近は社会も学校も成果主義になっています。 >しかし、企業は働いて利益を出す場で、学校は知識技能を身につけ、人格形成の場で、そもそも目的が違う。
や、だからそもそもの目的は子供たちを健全に「社会」に対応させ、結果として国を富めるためです。 そのために学校で行われる「方法」が知識技能の習得であり、人格形成の構築です。 んで、日本の場合「社会」への適応が重視されていて、欧米じゃそれよりも「個」が重視されている違いだと思いますが。
その理由は明白です。 アメリカを中心とする社会は基本的に独立、個の力のマンパワーが重視されています。企業利益とかの話じゃなく、企業を例とした様々な「社会」がそうなってるんです。 『だから』アメリカの教育は、人格形成も含めてそちらに力が向けられるわけです。
日本の場合、その多くは集団主義です。 『だから』日本の教育は人格形成も含めてそちらに力が向けられます。
日本は資本主義でありながら、「世界でもっとも成功した社会主義」といわれるゆえんでもあります。
>学校は、何か成果を残すからだけではなく、努力をしていく過程を評価したり、あなたはあなたで掛け替えのない人間なんだという、健全な自己肯定感を育んであげるべきだと感じるし、1番欠けていると思う。
それは成果と両立する要綱なので、それ自体は同意です。 成果主義であり、且つそういった指導は可能ですから。 ただ、それって本来「家庭」がすべきことじゃないかと思うんですよね。 学校でしなくていいというわけじゃないですし、盛り込むことに反対もしませんけど。
>これは多くの人も指摘している。集団ばかりで、個人がよりよく生きていく教育が出来てないと思う
前述したとおり、日本は集団でよりよく生きることが重視されているためです。 そこを変える場合、教育の前に日本の社会を変える必要があります。 そしておそらくはそうした場合、日本の国益は大きく損なわれます。 集団で生きることを重視すること、個人で生きることを重視すること、それのどちらも良い悪いという話ではありません。 単純に「どちらのほうがその社会において適合するか」ということなのです。
ただ、私も日本の教育で欧米、特にアメリカと比較して劣ってると思えることはあります。
ギフテッドと呼ばれる先天性の能力をより効率よく引き伸ばすための特殊措置に対する考え方、その教育方法は、単純に技術として日本にはほとんど用いられていません。 良い悪いではなく、技術不足という事実である以上、これは日本は早急に取り入れることを考えるべきだと私は感じています。
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