NO.847906 ・テルさん(男性/99歳) 2013/12/27 16:30:35
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小学生の貴方に出された選択で貴方は断ったのと同じように、たとえ娘の貴方がイヤだといっても結局どうするかを選ぶその“選択の自由”はお母様自身にもあったのです。
その選択で“それでも引っ越しする”をお母様は選べたし、さらには“自分だけでも引っ越しする”さえも選べたし、お父さんの方に出てってもらうという選択さえもお母様にはあったけれどでも、ただそれで“引っ越ししない”“なにもしない”を、お母様自身がよくよく考えた上で『ご自分で』選んだだけの事。
まだ何も知らないそこまで理解もできないなんにも出来る事もない…そんなたかだか小学生ごときのたわいもない存在の貴方に、その立場には重すぎるそんな選択の責任を問うても意味がありませんしその責任を思う事ほどバカげた事はありません。 またその責任がもしもあった事にするとしても、それは父親や母親やその時の環境や事情云々も含めてそれらで分散され割られたごくごくわずかのもののはずです。
ましてやその時から既に8年以上も経過しておりそこから流れてきているものが現在に未だあるとはいえ、現在はその後にあらわれ或いは持つ事もできただろう数々の選択の場面においてお母様自身がその選択をしてきたものが今にいたるまでいくつもあったはずで…八年もの歳月が過ぎた今すでに当時とはかなり違うものとなっているはずですが…それさえも全部貴方の責任だとでも言うのでしょうか…?
貴方がその原因は私にあるんだ私が悪いんだと嘆くのはそりゃ自由ですが…
そうやって貴方が今さら嘆き思い悩む事はお母様自身がよくよく悩んでよくよく考えてご自身で出されて重ねてきたそれらの選択や考えを全く蔑ろにしているのと同じ事なんだとは…思わないですか?
また…物事には“原因と結果”というものがあるものです。 “結果”としてお父様が不倫をされたとしても、それで貴方やお母様がいやがらせを受けてしまっていたとしても…それはもちろん不倫をした“結果”が招いた事とも言えますが… 場合によってはお父様の不倫を招いてしまった…或いはお父様が不倫に陥ってしまったその“原因”や“遠因”は…もしかすればお母様自身にもあったかもしれない訳です… そこになにがあるか、何があったかはあくまで当事者である“ご夫婦自身”にしかわからないものであり…それをどうするかはご夫婦自身にしか決められない事で…そういった自分の人生の責任は他の誰でもない当事者その“自分自身”にあるものです。
八年以上も経った今…いくら貴方が“引っ越しイヤだ”と発言した事を思い出したんだといって今更それを掘り起こしてどうなるのでしょう…? それを貴方が『今』思い悩んだ所で何になるのでしょう…? それはまるで、当時と違って深い思いやりを持つ事が今は出来るようになったそんな自分がそんな思いやりを持つ自分の力を発揮したいが為のものとしかなってなかったりするのでは…?
子供のころと違って成長した今の貴方に出来る事があるとすれば、それは遠く過ぎ去った過去に思い悩む事でも、今の自分が良い存在であろうとするために過去の自分に悔悟の念を持つことでもなくて…
今後もしも何かあった時に、或いは今後ももしもご両親が何かの選択をされた時に貴方がお母さんや或いはお父さんをもしっかり支えてあげられるよう貴方自身がもっと今以上に強くしっかりした存在になってあげる事…ではないですかね…? そしてもしかすれば万一にも孤独を感じているかもしれないお母さんやお父さんに孤独ではない事を感じさせるよう寄り添ってあげたり話を聞いてあげられたりその複雑に絡んでしまって場合によっては歪んでもいるかもしれないそんな感情さえ受け止めてあげられるそんな存在に貴方がなる事であったり… あるいは今後まだまだ続くはずの『ご夫婦の時間』『彼らの時間』において今もまだあるかもしれない硬く重くそして幸せを感じられない感じるきっかけさえ持てずにそのわだかまりに苛まれていたり空虚さがあったりするのなら…それを少しでも溶かし…或いは埋められる、そんなきっかけを貴方自身が与えてあげられるようになることではないのかなぁ…と… そんな風に思いますが、どうなんですかね…
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