NO.845018 ・テルさん(男性/99歳) 2013/11/28 07:16:44
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私は別にいいと思いますけどね..
いざ結婚して互いにお金がない子供も生んでしまったと“卑屈になって深刻に悲愴な感じで”話してるならちょっと心配ですが、笑って話していて卑屈にもなっておらず諦めてもないならそれはそれでいいと思いますよ…
その夫婦はまだ若い。 そして頼るご両親もまだ健在で今のところしっかりその若い未熟な二人をサポートしてるように見受けられますが… そうではないのですか? 実家に“預けっぱなしにしてる”というのは何も悪い事ではなく、お金がないから二人とも働いていたりするって事ですよね? また、少しくらいは遊んでたりもするでしょうが...でもその為にご両親がサポートしてるって事ですよね? それは“無責任”とは言わないですよね...
その若い二人は今は経済力も十分ではなく責任感ある発言もなくてしっかりはしてなかったとしてもそれは“まだ現状はそうだ”というだけですし、まだ『無責任な親』と決まったわけではありません。 まだ結果は出てないわけです。 今はそのどういう結果に進むかそのプロセスにあるだけ…ですよね?
貴方がいうように無責任な親も増えてる現状も確かにあるでしょう。 でもそれと同時に、貴方が言うように『無計画』に生まないためにと、『ちゃんと計画的にするぞ』と考えて、そう考えるが故に“相手はちゃんとこれくらい経済力がある人で〜”とか、“ちゃんと家事も手伝ってくれる優しい人で〜”とか言ってより好みをしてしまってそれゆえ逆に『結婚できない人』がどんどんというか…急増しちゃってますよね…
また、貴方のように"無責任にならないように”と考え、“計画的に”と考えるが故に子供を作らず、或いは作っても一人だけ...とかになってしまい…それゆえ全体として少子化が進んでしまっていて…このまま“計画的に…”と貴方のように子供を作らないまだ結婚しない…のままで進むとおそらく貴方が婆さんになった頃には福祉や老齢医療が税金でカバーできなくなりますよね…
それは貴方の言う...『計画的』...なんですかね…? 少子化の問題は政府が悪いという人も居ますが、その政府を選んでるのは自分自身だったりしますし…人のせいには出来ない事だったりします…よね?
物事は“プロセス(過程)”の段階でその善し悪しは判断できません。 結局どうだったかの『結果』でしか判断できないものです。 今のその二人はまだ経済的に不十分とはいえ、そして親のサポートはまだ必要だったとしても、でもちゃんと親のサポートもあるわけで、また、まだ責任ある言動がしっかり見受けられていなくても、でも暮らしていけるようにと頑張っていて悲壮感に囚われているわけでも諦めてもいるわけでもなく、そしてそれでもとりあえずはちゃんと結婚もし、そして親に『孫を抱かせてあげる』『孫の世話をさせてあげる』という幸せをご両親に与える事も出来ていて、そして子を産んで人口を増やしているわけでもあるのですから、逆に言えば『今のところ』いわゆる『国に貢献も』してたりするわけです...が… 視点を変えると...貴方の方はまだそうではありません...よね…? もちろん、貴方も現在はあくまで“オン・プロセス”なわけですから、まだそれがダメって事は言えないわけです。 貴方も違った意味で彼らと同じ『これから...』な訳ですし。
ただ、ちょっと心配なのは… 先に挙げたようにあまりに『計画的に』とか『責任感が…』と考えすぎたり頭でっかちになりすぎて“こうじゃなきゃダメ”と思い込んだり色んな眼鏡をかけすぎてそれゆえそのチャンスやタイミングを逃してしまい結婚できなかったり子供を生めなかったりする『かも』しれない...貴方の方だったりします…。
人生ってなかなか思った通りにいかないものだったりしますよ… また、時には彼らのような端から見ると『無謀な前進』や『無謀な賭け』とも言えるようないわゆる“勢い”に乗る事や時に運に任せる事も…実は幸せを得るために実は不可欠だったりするんじゃないかと...最近思うんですよね…
どちらにしろ、貴方が年老いて死ぬその時にその善し悪しを判断すればいいのでは?と思いますよ。 もしかすれば、貴方は当然裕福になり振り返れば経済的には安泰で計画的な人生を歩んできたかもしれないけれど...もしかすれば結婚しておらず子供もいないで一人で死んでいくそんなご自分があって、逆にその若い二人は貴方よりずっと貧しくとも、でも子や孫に囲まれ楽しくにぎやかに暮らしそして死んでいったとしたら... 彼らの行動や選択が悪いとか無責任とかは…もしかすればいえないかもしれないですよね。
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