NO.840856 ・理想ちゃんさん(女性/22歳) 2013/10/21 22:37:40
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わたしは意味なんて考えるのはよしていますよ。
究極意味はありません。
遅かれ早かれどのみち死にます。
楽しんでも苦しんでも、健康でも病気がちでも、成功しても困窮しても、いずれ死にます。
どうしたって結果は『死』でございます。
だから過程を楽しむべきだと思います。
自由ですよ。
あなたが意味を見出だしていいのですよ。
あなたの人生にはこれこれかういふ意味があるから、こんなふうに生きなさいと誰かが指図することはありません。
わたしは今までにたくさん肉体的にも精神的にも痛い思いをしてきたから、痛みを恐れません。
お腹が痛いのは苦しいですがし方ないです手術で切ったときがいちばん痛かったです。親はもう死んだことになっていますが両親ともに健在だと思います。今さら死んでもぜんぜん悲しみません。
わたしの人生の意味は、強いていうなれば、「あなたみたいになりたい」って誰か他人に言わしめることですかね。
恵まれない子ども時代でした。かわいそうとは言われ馴れています。だから強かに育ちました。
母子家庭で育ち母が再婚したので親はもうおらず、学歴は高校中退で、肢体不自由の身体障碍を持っています。精神科に入院したこともあります。境遇は平均より遥かに下だと思います。
障碍もひとり暮らしに支障は来さない程度なので、誰の世話にもならずのんびり生きています。料理がめっぽう苦手で、食事も得意でありませんが、特に問題はありません。
わたしは十三歳で自殺未遂をし、二十歳までは生きようと思い、その目標は達成しました。生き残ったからにはもうあと十年は生きてみたいです。無理なら無理でもいいです。すぐ死ぬのは、身辺整理できていないからまだ待ってほしいですが、どうしてもと言うなら死んだって別にいいです。
どっちだっていいです。
選べるなら、じゃあ、まだ生きていたいです。
取り敢えずわたしは明日散歩の計画を立てたので実行したいです。 |