NO.836931 ・理想ちゃんさん(女性/22歳) 2013/09/25 23:53:12
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三年前、わたしの目標は、ひとり暮らしをすることでした。 実母と継父の家を出なければなりませんでした。実母は、継父と継父の連れ子の三人家族になるのを嫌がってわたしを引き留めたり、「もうあなたを庇いきれないから、いつ出ていくのか日取りを決めましょう」と突き放したりを繰返しました。わたしは出ていきたいのはやまやまでしたが、生まれ育った土地を離れ、実母しか頼れないはずの環境で、判断がつきませんでした。酔った継父が階下に陣取り監禁も同然の家でした。食事は貯金を崩してコンビニやスーパーに買いに行くべきものでしたが、継父怖さに外出もままならず、年末から正月にかけては自営業の継父がずっと家にいたので、シャワーは一週間に一度しか浴びられませんでした(お風呂は生理的嫌悪で望みもしませんでした)。わたしの学歴は高校中退で、軽くない肢体不自由の身体障碍を持っています。それでいながら一緒に暮らして三ヶ月も経たないうちに『引きこもり』呼ばわりをされました。 中学生で自殺企図して以来五年間精神科に通っていました。引っ越しとほぼ同時に自己判断で打ち切りにしたところでした。わたしのメンタルは通院するうちにどんどん悪化していって、病院の先生に期待できなくなって、ストレスを感じるだけだったからです。通院をやめる、クスリも服まないと宣言するときは、なんだか嗜虐的な気分になりました。先生は特に止めなかったと思います。つまりは養子時代、わたしのメンタルはまだ不安定だったのです。 死なない程度にオーバードーズしました。30時間眠って自宅のベッドで目覚めました。そのときばかりは実母もコンビニでパンを買ってきてくれました。 どうにも死にたかったけれど、地獄のような環境で、これよりひどいことは強姦以外にあるまいと思っていました。連れ子のうち兄にあたるひとは既婚ながら目つきに粘るようないやらしさがありましたが、継父はわたしをそういう目で見なかったように思います。「お尻が大きくなったな」と言ってお小遣いをくれたり、「本当に顔だけはいいんだから」と言って性格を貶したりされました。でも隣室で実母とセックスしていても、わたしを対象にすることはありませんでした。
わたしは今でも純潔を手放せません。ここで守りきったものを捧げる相手をまだ見つけません。わたしの命懸けの純潔思想に見合うひとがおりません。
わたしが独立するのを、実母の実母、わたしの祖母イコールわたしの今の養母が支援してくれました。 実母には、わたしの目標は独立なのであって、四畳半を借りたらあとは餓死を待つ身だと仄めかしました。
しかし結局今日までわたしは生き延びています。結構痩せていますが、飢餓状態になってもいません。
わたしの身の上で長くなりましたが、これがわたしの自分らしさだと思います。
諭されて尋常に独立して実母の都合のいいときに会う、よき実子にはなりませんでした。 迫害されるように家を出て、実母とは以来二度会っただけで、今は電話番号も変えました。
拒絶する姿勢を取ります。 次の目標は、近畿に移住することです。
お涙頂戴の家族ドラマは実演できないのです。そんなの苦しいから真っ平なのです。
ストレスは心を壊します。 もう死にたくないから、記憶にないところで自殺に走りたくないから、ストレスをキャンセルするように努めました。
わたしの歪みは、エゴではないのです。わたしの自衛手段です。これを今さら取り払っても、わたしにはこの世界を生きられないのです。
花子ちゃんも。生い立ちや経緯をわたしが知る必要はないよ。わたしのパターンを理解してほしいので書いてみました。
『エゴだ』と言ったその相手の方は、花子ちゃんの生い立ちを知っていますか? 知らないからこその無理解か、知っていながらの意見の相違か、どうでしょう。
わたしが成長するのには『痛み』が必要不可欠でした。わたしのようなボンクラでも、鋭敏に反応して、即刻回避するような、痛い痛い痛みです。
花子ちゃんって呼んでみましたけれど年上ですよね。許してね。
理想ちゃん拝
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