NO.832156 ・テルさん(男性/99歳) 2013/09/02 21:31:20
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起こった事実やそこにある事実は変わりませんし変えられません。
人にできることがあるとすれば、その事をどう受け取るかどう捉えるかというその選択と、それから、或いはだからどうするか…という選択になると思うのです。
あなたの言われてる“いやな事を気にしないというのは最終的には精神力がものを言う”… というのはつまり、“これは嫌な事だ”とすでにそんな風に捉えてしまってる事を、そのことをすでに気にしてしまっているのを…それをムリやり気にしてないようにする…つまり、『実際は気にしてるのを“ムリやり”気にしていないように振る舞う』…という事かと思います。
ですが、物事をどう捉えるかのその選択は自分の好きにできる自由になるものだったりします。
例えば仕事でいやな上司や先輩がいるとか面倒な事があるとか、うるさい家族がいるとか面倒な事があるとか、そういった事を“イヤな事だ”と捉えるのも自由ですが、“そういうものだ”と捉える事も出来たりしますし“大した事じゃない”と捉えるのもできます。また、“まだマシだわ”と捉えるのもできれば、“なんてことない”と捉える事も出来たりします。ほかには“辛い事の後にはいい事があるからこのいやな事はきっといい事がある前兆だ”と捉える事も出来たりします。
辛い事を“ツライ”と捉えるとそれは辛い事に自分でした事になっちゃいますが、物事は捉え方でどのようなものにもなるものだったりする。
…と思います。
辛い事はつらい…んですが…“どんな辛さ”にするかは実は自分次第だったりすると思います。
辛いときやしんどい時はついつい心も視野も考える事も狭くなりがちです。 いやなっちゃいます。 だから解決策がまるで“それしかない”ように思えたりするものです。
ですが実際は…それだけではなかったりするものですよ。
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