NO.826753 ・テルさん(男性/99歳) 2013/08/08 00:19:38
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“これからもっとひどくなる”という事自体が医者としてもう判っている事実であり、そして同時にそれは、ちゃんと伝えておいてあげないといけない事実ですよね?
そしてそれを直接、そしてちゃんと言ってあげないといけない事…それ自体が患者さんにとってもそして医者自身にとっても“厳しい言葉”“厳しい言い方”になってしまう事であるわけで… だから、“厳しい言い方になるけど”というのは…
その言葉を受けなくてはいけない『相手を気遣った』言葉でもあり、そしてそれを言わなければいけない『その現実の厳しさ』についても語っている、そんな言葉になる訳です。
貴方はその意味をそこまでちゃんと理解されてますか? 恐らくそこまでは理解されてないのではと思います。
何も相手を叱ってるわけでも責めてるわけでもありませんよ。 “厳しい言葉だけど”は何も相手を叱る時や責める時だけの言葉ではないですから。 叱っている時や責めている言葉と受け取ってしまうのは… 単に貴方がそういう時にしかその言葉をかけられた事がなく、それ以外でどういう場面で使われているのかを貴方が知らないだけか、或いは想像がつかなかったから…ではないですか?
また、もしもその言葉が“不十分”というのであれば他にどんな言葉があると思うのですか? “もっと優しく”というなら、その事実を伝えるのにどういう言い方があるのでしょう? 『これからもっとひどくなる…可能性があります』とか『かもしれません』というように事実と違う…事実を“ごまかしたり濁した”事を言う事ですか? それは伝えるべき“事実”ではないです。事実とは違います。 そんなウソやごまかした言葉を当の患者さんは欲しがってると思いますか?
ではもっと相手に同情を寄せたような言葉の方がいいと言うのでしょうか?
でも変な同情をかけたら、或いは変に同情を見せるような言葉をかけたなら、例えそれが理不尽な理由でそうなったであろうが、相手はその現状から決して逃げる事は出来ないわけです。ですから、そういう相手にそういった同情は『余計な同情』となってしまい、相手に余計に“自分はなんて不幸なんだ”と思い知らせてしまう事にもなってしまうわけで…そうなると悲しみや辛さを余計に大きく相手に味わわせてしまったりもするわけです。 つまり相手を余計に悲しませたり辛い思いをさせる事にもなってしまうわけです。 貴方はその方がいいと言うのでしょうか?
己が思う『優しさ』は実は勝手に自分が思う優しさというものを相手に押しつけてるだけであって、それで相手を余計に悲しませたりするならば…それは本当に“優しさ”と言えるのですかね…?
貴方はそれでも“貴方が思う優しさ”がいいと思うのですか? “もっと優しい言い方”があると思うのでしょうか…?
それも、今回急にそういう事になったわけではないそんな患者さんです。 例えどんな事からそうなったにしろ、既に何十年もその苦しみと対峙し戦いそして受け入れてなんとか生きて、生きようとしているそんな患者さんですよね…? そこにある現実は、どんな言い方を望むとお思いですか?
どんな“もっと優しい言い方”が…あるのでしょうかね? あるのであれば、逆におしえて頂きたいです。。
貴方の正義感は決して悪いものではないと思います。 そして優しい事も悪い事ではないと思います。 それらが貴方や貴方に関わる未来をきっといいものにするとも思います。 ただ、それらを間違った方に使わない為には…もう少し見識や経験、洞察、思慮といったもの、人間性を深めるようにほんの少しでも意識されるようにされたら良いのではと思います。 薄っぺらな正義感はなんの力にもなれず、時にはなにも変える事ができなかったりするどころか…実際の“厳しい現実”に生きている人達にはその“気持ち”には感謝はされど、とんだ的外れとして受け止められちゃったりも時にはしますので…
問題意識を持っておられる事はとてもイイ事だと思います。 その問題意識とそこにある現実に則し物事を変えられる強さ厳しさをも備えた優しさを持ち、それらを決して失わずに歳を経て…いいオトコになってください。 貴方ならきっとなれるのでは…と思います。
エラそうな事書いてごめんなさい。 |