NO.825507 ・鈴penさん(男性/35歳) 2013/08/03 10:18:12
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(語弊がありますが…) (and広く間接的なメッセージにもなりますが)
仕事で疲れていたら“そんな”パワーある筈もないのだけど。
家族にとっての、自分史における未解決の案件がそのままで 時だけが流れてしまっているという家庭は多くあることでしょう。
物に当たることが完全に常態化してしまっている場合、 「病院へ行く」という一つのパターンを 受け入れられる柔順さ…、これを当人が既に持ち合わせていない ということも珍しくありません。
塊になっている偏屈さを薄っぺらく延ばして行くことに値する行動力。 この行動を自らが取っていかなければ、 時間を浪費することのメリット(副産物)さえも手にできない。
出来ることが全くない訳ではないのに。 ほんの一方向の道に対し、それを歩めないからといって「行き止まり」の標識を バンバン立てていたら、いつ本当の道しるべを目にするのか。
家(部屋)に こもりっきりの人。周囲に居てその問題を抱える人(家族など)。 この両者のパワーは相当なものがあります。 いろんなものが混ざりあっているにもかかわらず 素通りのごとき交わりの無さ。本質の部分では。
「行き止まり」の標識を作る材料。これは、 問題を抱える当人が本来持っている全ての材料に比べると、ほんの少しの材料しか使われていません。 「本当の道しるべ」の材料は歩みながら集めることになります。 つまり、最初から本当の道標など、用意はされていません。
籠るという居場所を離れないということ――これはどんな(望まぬ)状況も ガチガチに保存されてしまうという流れがロックされるとも言えます。
ただひとつ言えることはそれが確定ではないということ。 これが“本人しだい”の最強たる所以です。
それでも一緒に笑ったりできればいいですね。 |