NO.807499 ・ノーサイドさん(男性/60歳) 2013/02/02 09:29:18
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私としては、誰しもが一度は通る道であり、特に異常だとは思いません。
学校教育で過去の偉人の話を教えられたり、マスコミがオリンピックのメダリストを褒め称え、いかにも「人間として生まれたからには、こういう人になりなさい」ということを植えつけられます。
また自分自身でも部活などで、何となく飽きてきた時に「レギュラーになるんだ」とかの意味づけをすると、急に充実し張り切って頑張れるようになる。 なので人生においても、何らかの目標設定や意味づけが出来れば、充実して頑張れるように感じます。
私も過去に幾度となく目標を設定したり意味づけをし、挫折しては落ち込んでまた新たな目標や意味づけをしてきました。 それらの経験を踏まえての話なので、若い人には理解できないものだとは思いますが、参考程度に聞いてください。
私として気付いたことは「楽しさ」というものは「無意味なことをしている時」で、意味づけをすると覚せい剤ように「その時は元気になるが、薬が効かなくなると、ものすごく辛くなる」というものです。
例えばカラオケは音楽の授業でもないし歌手になるためのレッスンでもなく、ワイワイと騒ぐだけの何の意味もないことです。 バレーボールだって互いのコートにボールを打ち合うだけだし、野球だって試合が終われば無人のグラウンドが残るだけで、何もなかったのと同じになります。
カラオケが音楽の授業や歌手へのレッスンと意味づけると、確かに最初はダラダラと歌っていたものが真剣に歌うようになるし「良い点を取ってやる」「歌手で成功してやる」と元気も出ますし頑張れます。 ところが一向に成果が現れないと、果てしない道を歩いているようで、とても辛いものになります。
難しいことかも知れませんが「生きてゆくことは、無意味なことなんだ」と意識を変えて「無意味は承知で生きる」「無意味は承知で買い物をする」「何も残らないのは承知でし趣味をする」となると、毎日楽しく過ごせるようになると思います。
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