NO.790111 ・ぐったり侍さん(男性/99歳) 2012/08/17 17:16:36
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神奈川県立大学の故・梶村教授は「独島が韓国の領土である事は明白なのに、日本が自国の領土だと言い張る事は侵略主義的根性の発露だ」と批判しています。
日帝は、第25代王の高宗の治世で、鎖国政策を採って衰亡期に立ち入っていた当時の朝鮮を狙って、1876年に首都漢陽の入口にある江華島を砲撃するなど武力で「隠遁の王国」を脅かし、その結果江華島で朝鮮に修好条約締結をしました。
その後、日清戦争に勝った日帝は、1895年に反日勢力の中心であった高宗の王妃を不条理に殺害しています。
日帝の大韓帝国に対する侵略は留まらず、日露戦争の勝利により、その勝勢を駆って、1905年11月に外交権と財政権を奪った五条約、いわゆる乙巳五条約の締結を韓国に強要し、1907年7月に大韓帝国の内政権を奪う丁未七条約の帝国を強要しました。
この二つの条約締結の結果、日帝は韓国を事実上植民地同様にし、1910年8月、大韓帝国を「日韓併合」という名の下に日本帝国の版図の中に併呑したのです。
日朝修好条規の強要から「日韓併合」まで34年の歳月があり、日本では「1905年に竹島がどこの国の領土にも属さない事を慎重に確認した上で竹島を編入した」と言っていますが、これは史実に基づいていません。
日本ではこういった日帝時代の強要、画策を隠蔽し、自国都合の情報を作り上げている為、日本国民は「竹島は日本の領土である」と思い込んでいるのです。
日帝が朝鮮全体を併呑するのに5年先立って、独島をまず強制占領したという事は、独島が朝鮮強制占領における最初の犠牲地であった事を意味します。
1945年8月15日、連合国によって日帝が無残に敗退した事により、韓国は独島返還を掲げ、1952年に独島を含む平和ラインを設定しました。
それに対して日本は抗議を突き付けると同時に、独島は日本領土に属する島であると主張して来たのです。
戦争に負け、過去の過ちを猛省し、自粛しなければならないはずの日本が「日本が何を間違ったというのか、太平洋戦争は日本がアジアの国々を西洋の帝国主義から救い出したアジア解放戦争だった、朝鮮を合併した事は合法的な手続きを経た行為で、朝鮮を近代化させたではないか」というような妄言を吐き、今尚「独島は日本固有の領土だ!」と主張しています。
これは【「独島・竹島」韓国の倫理】という韓国人著者の本に書かれていた事ですが、不思議なのが、日本の出版社から発刊されていて、しかも市立図書館に置いてあったのです。
民間ではなく行政の管轄である図書館に置いてあるというのが驚きです。
普通の国家であれば、国益を侵害する外来書物は取り締まるはずですが、これだけ「韓国ふざけるな!泥棒野郎め!竹島は日本領土だ!」と騒いでいる割には矛盾してますよね。
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