NO.774539 ・みたさんさん(女性/48歳) 2012/05/18 23:43:59
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私は、6年前離婚しました。離婚を決心したのはその5年前です。 彼はその時私に、「10年前から興味はなかったと」独り言のように唐突に言いいました。逆算すると27歳です。26歳で結婚、28歳で出産、そして、42歳で離婚。今は、息子と犬1匹で暮らしています。
最近思うことを少し書かせてくださいね。
@縁というものはどんな縁でも不思議なものだと思えることです。 離婚した元夫として息子の父として縁は続いていきます。 最近、一人が寂しくて縁を求めているのですが、なかなか歳もあって、縁にも踏み込めなくなっています。 息子にとっては親権者としての父親です。 A”恋は盲目という言葉があります”が、私の場合もそのものでした。 29歳の時、突然!”目が覚めてしまった”と感じたことを覚えています。 それまでは、何もかも彼がすることが正しく、趣味も食生活も彼を中心に回っていきます。大好きな彼の好きな事を一緒にできることは、とても幸せだったとおもいます。 ”なぜ幸せだったとおもいます。”というのかというと、二人だけの会話が成り立てなかったことです。 お友達がいる時は話ができるのに、二人になるとまったく会話がないのです。日常会話はしますが、「こんなことについてどう思う?」と尋ねると、疲れているから黙っていてといわれていました。 性交渉も彼が求める時だけです。もちろん前戯などありません。 ウルトラマンより早い、もしかしたら用をたすより早かったかもしれません。 私から求めると、いんらん とさえ 言われました。 それでも性交渉があったので、愛されているとおもいこんでいました。
私の恋の魔法が覚めてしまっって、私自分の意見をいうことがうっとうしかったようで、彼は「ケンカはしたくないからじゃべらないで」と言って、無視しました。ケンカもできない夫婦(?)になってしまいました。 32歳で性交渉はなくなり、お父さんお母さんの関係へとなっていきました。 子どもが8歳のころ、これも唐突に、「もし離婚したら、親権はいらないから、僕は育てられないからね」と言われました。(いらないなんて言うのだから、しっかり親権を持ってもらい育てるという義務を感じてもらうことにしました。) もう、この時、恋も愛も信じることはできなくなった自分は、とても詫びしく、空虚となり、ボランティアに熱を上げるようになってました。
B離婚を切り出して5年後が離婚だったのかは、女性一人では家を借りることも難しく、専業主婦でしたので、経済的自立を5年計画で成し遂げようと計画したわけです。運よく経済的自立は成し遂げられたのですが、精神的に弱く、これまでに休職を2回しています。 精神的な心強さをまがりなりにも持てるのは、やはり愛する心がないと折れてしまいます。 離婚までの5年の間に寝ているときにも力が抜けなくて5本の歯根が折れてしまいました。
C離婚をするのがいいのか? 離婚はやはり寂しいです。 時々、どうして離婚したのかと、悩むことさえあります。 私に興味はなくとも、息子の母としては家族であったわけですから、私が我慢すれば、表向きは、そして老後は幸せ家族を迎えられたのかもと悩むことさえあります。
縁を結ぶことの不思議さはなんともいえません。
私が失敗してしまったのは、客観的に自分を見ず、彼のことも客観的に見ていなかったことです。そして、家族としての俯瞰(フカン:客観視)もしなかったことです。 「家族って、なんだ?!」って素朴に考えなかったんですね。
結婚に至った道、二人でやってきた準備やお金も沢山使ったこと、家族にも祝ってもらったこと、二人の思い出を思い出して、これからどうして行きたいかをそれぞれに出して、それについてまた話し合って、会社の会議みたいかもしれないけれど、一つ一つお互いの人生のために話しあい、性交渉についてもお互いがどう思っているのか、どうしていくのか、恥ずかしがらずに、 お互いのテリトリーに入って、話し合ってから、 女性としては子どもを安全に産める年齢を考えて、そして育てるパワーも考えて、一人で決めずに二人で今後の縁をどうするのかを考えてみてはいかがでしょうか。
こんな話で、客観的に経験・体験を見直して、あなたの眉間の皺が少しでも浅くなることを祈っています。 あなたの幸せのために、考えてくださいね。 |