NO.730748 ・mesukeさん(男性/36歳) 2011/10/09 07:10:13
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どのスタンスに立って物事を見てるのかによって物事の“評価”って変わりますよね。
貴方の周りにいる友人知人の思う“ふつう”からすれば貴方はカタイし、もう少し柔らかくてもいいんじゃないかと思われてるだろうし… 逆に、きっと“モル○ン教徒”からは“それがふつうだ”と思われます。
じゃあ私はどう思うかというと…まあそんな人も居てもいいんじゃないかな、うん…という程度にしか思いません。 ただ…今まで個人的に色々経験してきて思うのはちょっともったいないかもねぇ…とは思います。
もちろんそれが悪いわけではありません。 そういう人がいてもいいわけです。
でも…他の話に置き換えればもう少し判るかもしれないですが…
例えば『中華料理はどうも食べたいって思えないんだよな…』と言う範囲でとどめてるならまだ判るのですが…
『おいしい中華料理』を食べた事がない人が…というよりも、そもそも“中華料理”自体を食べた事がない人が『やっぱなんといってもおいしいのは日本食だよな〜』とか『中華料理のあんな脂っこいものおいしくないに決まってるよね』『中華が好きって人わけがわらかない』なんて言ってたとしたら…
『どうしてそんな事が言えるんだろう…』としか思えなかったりします。 むしろ、そこまで言ってしまってるならホントは自分は興味があるのに手にする勇気や自信がないそんな自分を正当化してるだけに思えたり“日本食は一番おいしい”とそう思い込んできた自分や自分の立場を守りたいだけにも思えたりしますし…
逆に言えば、いつも日本食をおいしいと思って食べてるけれどおいしい中華料理も食べた事もある人が『私は中華よりもやっぱり日本食の方が好き』と言ってるなら…しっかりと選択が出来てる人だなって思います。 だからそういう人はカッコよく思えます。
でもそうでないなら…それが悪いって事にはならないですけどそこには“決めつけ”や“思い込み”で決めてる人だよな…って思いますから…そこまでカッコ良くは思えません…
そういう意味では硬い(決めつけや思い込みが強い)かも…。
むしろ“実際には試さない”にしても…例えば…
『ルノワールの絵は好きだけどピカソの絵は何がいいのかちっとも判らない』と決めつけて目を閉じてしまいそう言い放つ人よりも… 『私はルノワールの絵が好きだけどピカソの絵も良いと言う人がいるんだからきっといい所があるんだろうな…きっとこういう部分かなあ…ああそこは確かにいいと思えるなあ…』と目を閉じずにそういうのも“あってもいい”と受け入れ理解しようとするスタンスにいる人の方が“柔らかく”感じます。
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