NO.720424 ・のりたま大好きさん(男性/42歳) 2011/09/01 21:53:18
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私の母は、私が小さい時から入退院を繰り返す人でした。だから幼い頃布団の中で母が死んだら…と考えただけで涙が止まらず家族にバレないように泣いていたのを覚えています。
母と私は通う場所(学校に通う私)が違うけど、身近な所で医者や看護婦(今は看護師)さんに囲まれ、年がら年中通院したり入院したりが当たり前でした。
私は高卒で社会に出ましたが、医者に行く時は休んでくれと頼まれ母を連れて少し遠い病院まで行きました。地元と違い完全看護なので安心と言えば安心でした。
一端入院すると週末は、見舞いがてら様々な言いつけられた物を渡したり伝えたり。全く要領を得ないので病室でも怒られておりました。私を怒る元気がある時はまだ回復の余地があるため、手術後に医者からもう帰って良いぞ!とか言われておりました。母の医者に対する笑顔を見るだび、本当に心から信頼してるんだなあと思いました。
母が他界して10年以上経過しておりますが、介護の苦労みたいな記憶があまりありません。母は元々明朗活発な性根で、人に馬鹿な事を言っては笑わせて喜んでるような人でした。だから、貧乏を実感したのが社会に出てからだったり、本来なら立って仕事をするのは無理な状態なはずなのに平気な顔で仕事をしていた。
高校生の時、母を荷台に乗せて自転車をこいでおりました。ふと荷台が気になり振り向くと母がおりました。なんだ?と聞かれて、あまりに軽いからいないのかと思ったと言ったら母は笑っておりました。
介護をしたとは私は思っておりません。母のおバカさ加減に救われて世話をさせられていただけです。強制労働です。無賃です。労働力を提供したのにどこか遠くへ逝ってしまいました。
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