NO.617128 ・ぐったり侍さん(男性/28歳) 2010/07/31 23:18:21
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>偶然でこれだけ当たりますか?
以下は全て私の個人的な判断です。
とりあえず全てが真実だとして考えるなら、「偶然」ではないと思います。 偶然でないのならば、「必然」であったと考えるべきです。
まずこのタイのケースですけれど、「24キロほどの所にある町」とあるように、比較的近い場所で起きていることがわかります。 そもそもとして、情報源がいくらでもありえると判断できます。 ニュースでもいいし、新聞でも言いし、人づてでもいい。たった一人、その事実を知っている人間が、本人か親かに伝えてしまえば、状況は出来上がるのですから。 そもそも「撃たれて死んだ」ってことは、明確な殺人事件ですから、たかだか20キロちょっとの場所の事件なら、いくらでも話題になるでしょう。
つまり、なんらかの形で「ブア・カイ・ラウナク」についての情報を得ることは、比較的容易であるわけです。
見分けた云々について、実際にどういう検証をしたのか、これだけではわかりようが無いので、それについては特に言及はできません。 逆に言えば、「いくらでも考えられる」ということです。 手品のネタと変わりません。同じ結果を出すだけならば手段はいくらでもありますし、その正解率、成功率もかかれてませんから。
以上を考慮すれば、「生まれ変わりでなくても可能」である以上、オッカムの剃刀によって「生まれ変わりである必要が無い」という結論に至ります。
>なおかつ、チャナイが故ブア・カイに感情的にもなりきっているのは何がそうさせていると思われますか?
単純に考えれば、思い込みでしょう。それが、偶発的な結果か、作為的な結果かはわかりませんけれど。
致命傷の痕云々と母斑云々は、ぶっちゃけ「だからどうした」って感じですし。「関連付け」っていう色眼鏡を通すと、いかにも不思議に見えるよね、ってだけでしかないですし。
一番の問題は、全てが「聞いた話」による事例であって、どこにも「検証」がなされてないってことなんですよねえ。 嘘かどうかの検証、じゃないですよ? 「どの程度正しく事実を語っているか」の検証です。それが全てと言ってもいい。
逸話だけでいいなら、世界中で伝説、生き物でも神様でも宇宙人でも財宝でも、「事実」と照らし合わせて「関連付け」をして語れます。 「間違った事実」を作り出すのに、「嘘」は必要ありません。
「本人達にとっての真実」は「事実」とは関係ないのですから。 |