悩み相談 悩みウェブ

悩みウェブ -悩み相談コミュニティ-

全カテゴリから検索 このカテゴリ以下で検索
恋愛の悩み(18歳以上)/ 恋愛の悩み(17歳以下)/ 性の悩み/ Hの悩み/ 妊娠の悩み/ 結婚の悩み/ ダイエットの悩み/ 身体・美容の悩み
ファッションの悩み/ 病気の悩み/ 家庭の悩み/ 人間関係の悩み/ 心の悩み/ 夫婦の悩み/ 育児の悩み/ 家事の悩み/ 料理の悩み
仕事の悩み/ 学校の悩み/ 勉強の悩み/ 将来の悩み/ お金の悩み/ ペットの相談/ パソコンの悩みNEW/ その他の悩み/ 疑問・質問/
アンケート/ テレビの話題/ 芸能人の話題/ 指名して相談
TOP > 疑問・質問 > 死刑判断の難しさ

疑問・質問

投稿情報 内容
NO.125648 死刑判断の難しさ
紗枝さん(女性/99歳)
2010/07/20 13:01:26
先日、あるTV番組で『永山則夫 元死刑囚』というドキュメンタリー番組を見た。
それまで私は、凶悪犯罪者は死刑に処して然るべきという考えだったのだが、この番組を見て、人間の犯罪心理というのはそれだけでは図れない奥深いものがあるのかも知れないと考えさせられた。

永山は1968年から1969年にかけて、東京・京都・函館・名古屋で4人を射殺し、連続ピストル殺人を犯し、1969年、19歳の時に逮捕され、28年後の1997年に死刑執行によってこの世を去った。

彼は、戦後間もない、日本中が貧困のどん底にあった1949年に8人兄弟の7番目の子として北海道網走で生を受けるのだが、父親が博打に明け暮れ、家庭は破壊状態にあり、生活に窮した母親は子供を連れて実家に帰ろうとするも、汽車賃が工面出来ず、則夫を含む4人の子供を残して去ってしまう。

残された則夫を含む4人兄弟は、屑拾いなどをしながら極貧生活に耐え、何とか生計を立てていたものの、飢えと親を失った愛情希薄から子供たちは心身共に荒み、その矛先は弱い者に向けられ、則夫は兄から暴力を受け続けていた。

やがて、4人を見かねた近隣住民による福祉事務所への通報をきっかけに、残された4人は母親の元に引き取られたのだが、則夫の心は既に崩壊していたのか、その後も家出を繰り返したりしていた。
中学を出た則夫は集団就職によって東京へ出るのだが長続きせず、職を転々と変える・・・

永山は1980年に在米日本人の和美という女性と獄中結婚するのだが、1971年に彼が発表した手記『無知の涙』を読んだ和美が、自分の境遇と重なるものを感じ、永山に手紙を送った事がきっかけとなり2人は文通を始める・・・

和美は日本人とフィリピン人のハーフとして日本で生まれるが、親に捨てられる。国籍もなく身寄りもない混血児の助けとなる福祉施設で、どこの国のハーフかによって支給される援助金額に差がある事を知り、白人が一番高い額で、フィリピン人が最も低い支給額である事に愕然とする。

2人は共に、自力で生きられない年で親に捨てられ、弱者の立場でこの世の辛酸を嫌というほど味わってきた。
その共鳴が、2人を強く結び付けたのだろう。
手紙で綴る2人の想い・・・親への恨み、弱者に対する世間の冷酷さ、差別、人間への疑念、自分の存在意義・・・2人の心情を読んでいると、私には計り知れない悲しみと絶望を味わった者の叫びがそこにあったのだ。

続く

投稿を締め切りました。




投稿情報 内容
NO.613780
ベネゼット青木さん(男性/38歳)
2010/07/20 23:50:55
平均寿命が当時という事を換算して70歳としよう。4人殺めたのだから280歳だ。
つまり280年分の人の人生を奪ったという事だ。紗枝氏にはこういう考え方の方が分かるんでは?

280年だぞ?
280年をたった少しの時間で奪ったのだ。
そして被害者は子供や子孫を残せた可能性もある。つまり実害は計り知れないのだ。

たったそれしきの家庭不和で280年を奪ったのだ。
賭博だろうが家庭が引き裂かれようが、そういう家庭はいくらでもあるのだ。
つまり紗枝氏は永山の家庭を特別視している感がある。
別段永山の家庭が特別不幸という訳でもなく、まだまだ不幸な家庭というのはあるのである。

紗枝氏というのは幸せな家庭で育ってきたんだろうというのがつくづく分かる。だから永山家のレベルでも同情心が芽生えるのである。

言っとくが永山家のレベルより遥かに悲惨な家庭は多い。しかしそれでも殺めた事実は憂慮されないのだ。
もう少し色々な事件を知る事だ。
女子高生コンクリート事件は被害者は1人だがまだまだ悲惨なのだ。加害者側が死刑になってるのかどうかを知る事だ。
そうすれば永山事件の見方も変わってくるだろう。
私は犯罪者は何があっても許さない。

投稿情報 内容
NO.613775
ベネゼット青木さん(男性/38歳)
2010/07/20 23:39:40
紗枝氏はまず1人で4人の人の命を奪ったという重大さがよく分かっていない。1人ではなく4人なのだ。
そして被害者遺族のバックグラウンドには一切触れていない。加害者側のバックグラウンドでのみ語っている自論だ。

まず司法というのは片方だけで判断されるという事はない。

そして紗枝氏の犯罪者擁護論だとその後の犯罪者を助長するものだと考えられる。

人を殺めるという事自体紗枝氏は理解していない。
どんなに辛いバックグラウンドがあろうとも人を殺める理由にはならないのだ。

『人を殺めた事実』はまず持って本人がその事実を受け入れる事から始まる。そして手記による印税が遺族への慰謝料だとしてもまだ報われない責任を背負う義務がある。人の命は金では買えないからだ。
人の命は尊いもので、全てのものよりも絶対的なものなのだ。

そこにはバックグラウンドを憂慮しても尚消せない『殺めた事実』がある。

殺めた事実がある限り、向き合わねばならない。心を閉ざそうとも命という尊いものにはかなわないのである。

死刑廃止論があるが私は反対。人を殺めるという事は自らの命で最終的には報いなければならないのである。ただ死刑執行までの時間に死刑囚が出来る事は事実を受け入れて被害者や遺族に対して謝罪の念を唱える事だ。唱えても尚帰らない被害者は死という絶対的なものだから許されるものではないのだ。

投稿情報 内容
NO.613733
トッポさん(男性/39歳)
2010/07/20 20:52:25
個人的な見解ですが、普通なら日本国憲法に則って即座に死刑執行になるであろう事件の被告人が30年近くも刑が執行されずに生きのびれたのは、ひとえに凄腕の弁護士(故 遠藤 誠 氏)によってだろう。被告人云々よりも遠藤誠氏がみせた手腕の凄さはうかがえる。被告人ばかりが注目を浴びて被害者遺族がないがしろにされているのではないだろうか。テレビ番組を見て被告人に感情移入したのかもしれないけど、どのような言い訳をしようとも罪なき人を4人も殺害したのだから。劣悪な過去の家庭環境を持ち出して弁護し正当化しようとも被告人は死刑が相当である思う。遅すぎた死刑執行の事件の一つでもである。それにしても遠藤誠氏って。

投稿情報 内容
NO.613684
ポップリンポップさん(女性/26歳)
2010/07/20 17:38:00
犯罪者も人間ですからね。

でも人を殺したという罪は重いです。

人を殺したなら同じ目にあわせたいっていう被害者側の気持ちもありますし…。

確かに周りの環境で人は善人にもなるし悪人にもなりますし生まれた環境が悪かったけどそれを同情して死刑にならないのは違うと思います。


やはり悪い事は悪い。
裁判所でいろいろ話合った結果死刑になるならしょうがないです。


投稿情報 内容
NO.613674
ローズさん(女性/37歳)
2010/07/20 17:04:30
この事件で一番悪いのは、やはり罪を犯した加害者本人だと思うのですが…。

加害者の背景を考慮し賭博に明け暮れた父親が悪いとなると、なぜ父親は賭博に明け暮れたのか…という父親の生まれ育った背景まで考え過去にさかのぼり責任転換を繰り返してしまう恐れがあります。


どのような境遇にうまれ育っても法律は平等でなければ国民は安心して暮らすことができないのでは?

投稿情報 内容
NO.613670
紗枝さん(女性/99歳)
2010/07/20 16:48:53
返信ありがとうございます。

この事件の悲劇の発端を考えると、結局は、博打に明け暮れ妻子を放置した父親が一番悪いのだと思うようになりました。

これによって永山の人生が狂わされた所は大きかったと思います。

大人になってから受ける辛辣と、物心ついた時にいきなり辛辣が始まっていたのでは、同じ苦しみでも与える影響は異なるような気もします。

そう考えると、永山も父親に殺された被害者の一人なのかも知れません。

私には分かりません。
家族を犠牲にしてでも博打に明け暮れた永山の父親が・・・

彼が犯罪を犯し逮捕され、そして死刑に処された時、この父親はどう感じていたのか気になる所です。

投稿情報 内容
NO.613649
ローズさん(女性/37歳)
2010/07/20 14:19:57
難しいからこそ冷静な第三者を加え審議を重ねる裁判制度があるのでは?


主さんが検察官や弁護士、裁判官にでもならない限り「被告人には極刑が妥当だ」と発言したところでなんの効力もないので安心して大丈夫です。


でも、今までとは違う観点で事件の背景や判決を考えられるようになったというのは主さんにとってターニングポイントになりうるいいドキュメンタリー番組だったのだろうなと思いました。

投稿情報 内容
NO.613646
甘えん坊将軍さん(男性/37歳)
2010/07/20 13:57:58
なぜに今更永山事件を取り出すか?家庭環境に情状すべき点はあるが、だからって4人を殺害してよいものか?最近は以前には考えられない犯罪が多いし、被疑者の低年齢化も進んでる。死刑廃止論が進み、少年法で守られ、被害者は司法に何を求めればよいのか。他に考えさせられる死刑判決はあるのですか?秋葉原の殺傷事件も、被告が非正規社員だから同情して減刑させますか?

投稿情報 内容
NO.613633
紗枝さん(女性/99歳)
2010/07/20 13:03:04
続き

永山は、1979年に地方裁で死刑を言い渡されるのだが、1971年に出した手記の印税を被害者遺族に支払うなどの行為で、1981年に一旦無期懲役に減刑される。
しかし、1990年に最高裁で「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない」として死刑判決が確定する。

和美は「被害者家族の心中を考えれば、彼が犯した罪は到底許されない。しかし妻として、愛する夫の判決には、死刑という形の償いではなく、無期懲役で被害者遺族への罪の償いを望む気持ちはあるけれど、私がそれを口に出す立場にない事は百も承知している。なぜなら、夫は被害者遺族の愛する命を奪ったのだから、その妻である私が、夫の死刑を間逃れ無期懲役で償わせて欲しいなどとは言えない・・・それが苦しい・・・」と漏らしている。
ここには加害者側遺族の苦しみがあった。

母親を憎み、世間・人間を悲壮な目で見ていた永山・・・
しかし、和美との出会いによって、人から愛される事の喜び、そして人を愛する充足感を知り、自分が犯した罪の重さを理解し始める・・・
そして、死刑から無期懲役に減刑された事も重なり、闇心に閉ざされていた永山の心は少しずつ開き、被害者遺族への猛省と厚生心が芽生え始めていた。

けれど・・・最高裁で死刑判決が確定した事によって、永山の心は再び閉ざされて行く・・・
「人は人から愛される事で他人を傷つける事の罪の重さを理解する・・・少しずつ前へ開きかけた彼の心が再び萎んで行くのを見るのは辛かった」と和美は語る。

被害者遺族にして見れば、犯行に至るまでどれだけの苦悩が加害者にあろうともそんな事は関係なく、愛する者の命を他人の手によって奪われた事実には一切の言い訳など通用しない。

被害者側の想いと、加害者側の想い・・・この2つの相違は埋められるはずもなく、私がつくづく思ったのは、結局法の裁きというのは、犯行に至るまでの経緯ではなく、他者に身体危害を加えた事実が全ての焦点となる事だった。

犯人側にどれだけ苦しく辛い環境があろうとも、人から酷い仕打ちを受け恨みを抱えていようとも罪を覆す事は出来ない。

長くなって申し訳ありません。

TVのニュースで知る凶悪犯罪事件は表立った部分しか見れないので、なかなか犯罪者側の心理というのは考える事がないと思うのですが、危害を加えた側が悪いというのは前提であったとしても、犯罪者側の心理を深く見て行くと、簡単に死刑と判断出来なくなっている自分がいました。

もちろん、被害者側遺族の観点に立って考えるのが大優先である事は理解しています。
自分の家族が誰かに殺られたら到底許せないですからね。

ここまで読んで下さってありがとうございました。
真面目に考え真剣に投稿した次第ですので、意にそぐわない方からの返信はご遠慮下さい。
皆様はどうお考えになりますか?


*申し訳ありませんが、ぐったり侍さんは返信ご遠慮下さい。





Copyright(C)悩みウェブ. All Rights Reserved.