NO.515766 ・ぐったり侍さん(男性/27歳) 2009/09/17 01:20:56
|
哲学的な答えじゃないのであれば、 そりゃ、基本的には、周りで生きている人が「迷惑」するからです。
貴方の言うとおり、 「残された人達に迷惑とか、耐えがたい苦しみや悲しみ与えるから」って理由もあれば、死体処理、自殺者が出たことによる悪影響など、金銭的なことも理由です。
そして、「迷惑」という被害を受ける側にとって、迷惑という被害を与える側が、苦悩していて生きている間ずっと耐えて我慢してるとか、そんなのはそもそも「知ったこっちゃない」んです。
だって、それを認めるなら、「生きることに苦しんでる人は他人に迷惑をかけていい」ってことですもん。 オレが強盗をしたのは世の中が悪いせいだ、とかそういうレベル。 んなわけないじゃないですか。 そこに生まれるのはせいぜいが「同情」によって「迷惑を許してもらえるかもしれない」くらいなものです。
もちろん、死の選択が必ずしも迷惑になるとは限りません。
たとえば末期癌で苦しみに耐えながらの延命と、安楽死ってテーマなら、必ずしも「死」という選択が迷惑になるとは限りません。安らかな死というのは万人共通の願いでもありますから、残されたものにとっても大切な人が安らかに亡くなられた、というのは救いにもなりますから。
ただ私、どうも自殺する人(安楽死や目的を持っての死を除いて)の多くってどんな事情を汲み取っても、苦しみに対する抵抗として「やるべきこと、やれることをすべてやった」上の自殺をした人って、ほとんどいないと思うんですよねえ。
どっちかというと、「やるべきこと、やれること」がいくつもあるのに、それを「やろうとしない人」が自殺してる気がしてます。
あと一つ。
>だから、逝けば楽になるって信じてるよ。
断言してもいいですが、それは間違いです。 「楽に逝ける」方法は確かにありますが、「逝けば楽になる」ことはありません。 「楽」も「苦」もない、「無」がそこにあります。
「苦しみ」って、「生きているもの」のみが味わえる、かけがえのない「特権」です。 |