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投稿情報 | 内容 |
NO.588391 ぐったり侍さん(男性/28歳) 2010/04/24 20:57:36 |
>もし私に婚約者ができ、親の前でそう言ったとしたら、その人の人格を疑います。今まで私のこと‘モノ’だと思ってたの??? そりゃ言ってる本人が嫁となる人物を「モノ」として見ていて、それが故に「モノとしてあんたのモノを俺によこせ。大事に重用するから」 って意味でいってるなら、そりゃ「何コイツ」です。 ですが、貴方が自分の婚約者の発言を上記したような意味で捕らえているのなら、第三者の私は「貴方」を見て「何コイツ」と思います。 自分をモノのように扱うところに惚れた!というなら、いいんですけれど。 ようは、これって 「貴方が命がけで守ってきた大事な存在を、今度は私がそうしていきます」 っていうことであって、 親にしてみればまさに人生をかけてきた存在が第三者に「奪われる」形になるので、 「それを理解している」からこそ、夫となる存在が「ください」といってるんです。 ともあれ、ようは文化としての言葉の慣習であり、物の本質ではありません。 > 同様に「嫁に行く」という表現も嫌いです。結婚は家同士のものではなく、個人同士のものだと思っているので。 「個」であり、「家」です。 その比重の差に過ぎません。 昔なら生きていくために「家」に大きな比重がありましたが、現代では「個」でもそれなりに生きていける豊かさがあるので、「個」の割合が大きくなっています。 が、権利や戸籍、そしてこれからの関係を考えるのであれば、「家」という割合はゼロにはなりません。 それでもなお「個」同士だけの婚姻を望むというなら、自分の力のみでなしえた財産以外をすべて権利放棄し、且つ夫婦ともにそれぞれの「家」との関係を断絶し、その上でそのように主張すべきでしょう。 >でもどうしても上の表現が生理的に無理なんです。 ぶっちゃけ「生理的に無理」というなら、どうしようもないってのが本音ではあります。 さすがにそれを「好きになれ」とか「気にしないようになれ」っていうのは無理でしょうし。 ただ、貴方は言葉そのものに対する拒否反応をしているのではなく、 「世間知らず」とあなた自身が言うように、「無知」だから故、物事の本質を理解せず勝手に勘違いして嫌っているように思います。 「表現」には文化として長い歴史があり、また起源となるものがあって生まれたものです。 そしてその過程の結果がどうであれ、今どのように使われているか、が重要でしょう。 そういったことを学び、理解しようとする努力をすることが、貴方に必要なんだと思います。 |
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